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真・菊地探偵事務所 三章 5

5 ニヒロ潜入

 奇しくも、春香たちとは真逆の方向へと地下街を進む真たち。
 律子に聞かされた事をそのまま思い返す。
「確か、この地下道を歩いていけば、ニヒロって所に着くんだよね?」
「正確にはニヒロ機構がある地域、ですね。地上は地域と地域の境目に人が入り込めない場所がありますから、こうやって地下を進むしかないんですね」
「得意気に喋ってるけど、全部リツコが言ってた事じゃない。見かけ鳥だけに、鳥頭なわけ?」
「な! イオリちゃん、それはあんまりですよぅ」
 涙目になるホルスを放って、一向はそのまま地下街の出口へとたどり着く。

 外へ出るとまた、不思議な気分だった。
「向こうに見えるのが、さっきまでいたオフィス街だな」
「壁に張り付いてるみたいだね……ちょっと不思議」
「スペースコロニーって感じかな」
「……? 真ちゃん、スペースコロニーって?」
「あ、いや、聞かなかったことにして」
 雪歩に首を傾げられ、真は慌てて手を振る。
 普通の女の子ならばガンダムなんて見ないだろう。
「そんな事より、見えてきたわよ、ニヒロ機構の建物が」
 そう言ってイオリが指差す先には、背の低い円筒型の建物が建っている。
 ここからでは遠すぎて、全体像が掴めないが、恐らく見えている部分だけがアジトと言うわけではないだろう。
「地下に伸びてるのかしら。見えてるのは氷山の一角ってところでしょうね」
「……ん? あれ、待てよ?」
 何かに気がついて、真がふと足を止める。
「あっちがオフィス街だから……ここは確か、あずささんの家があった林の辺りじゃないか?」
 位置的には確かにそうなる。
 林自体は千早の魔法で吹き飛ばされていたので、見当たらないのは当然だとしても、ニヒロ機構のアジトのような建物はどこにもなかったはずだ。
「大急ぎで建てたってわけでもなさそうだし、どういうことだろう?」
「真さん、それはですね……この世界には記憶があります」
「世界の記憶?」
「そうなの!」
 ホルスの説明を引き継ぎ、ミキが胸を張る。
「このボルテクス界は幾つも代を重ねた後の記憶で出来てるの。でも世界自体は出来損ないに近いから、構成する大部分をその記憶で補ってるの」
「……ごめん、ミキ。何を言ってるのかさっぱりなんだけど」
「頭弱い真くんも可愛いの!」
「えっ、バカにされたの? 褒められたの? どっち?」


 そんな事をやりつつ、一行はニヒロ機構へと近付く。
 流石に建物に近付くにつれて雑談は減ったが、それゆえに気付く。
 アジトの方が騒がしい、と。
「見張りが一人もいない……でも中から声はする。どういうこと?」
「さぁ、それは私にも……」
「ミキ的にはニヒロ機構って静かな世界を目指す集団だったはずなの。あんなに騒がしいなんておかしいって思うな」
「何かあったって事……かな。真ちゃん、どうするの?」
「行ってみるしかないだろ。ここまで来たのはちゃんと目的があるんだから」
 異変に気付きつつも、少しずつ建物に近付く。

 見張りがいない事を確認し、間近まで迫ると、建物の中から悪魔が出てきた。
 驚いて身構えたが、出てきた悪魔はどうやら死に掛けているようだ。
「た、助けて……」
「大丈夫ですか!?」
 雪歩がその悪魔に駆け寄る。悪魔は小さな天狗のようだった。
 天狗の身体は傷だらけで、体中からマガツヒが漏れ出ている。
「人間……黒衣の悪魔使いが……あいつら、強すぎる……」
「黒衣の悪魔使いって……バンナムの地下にいた奴らじゃないの?」
 天狗の言葉を聞いて、イオリが記憶を掘り返す。
 受胎直後、バンナムの地下で雪歩と春香が戦った悪魔使いは黒いマントを羽織っていた。葛葉シジョウと言っただろうか。
「あいつら、なんだってこんなところに?」
「ボクらと同じ目的かも?」
「だったら悠長にしてられませんね! 真さん、早く行きましょう!」
「う、うん、雪歩!」
「今行く!」
 最低限の治癒魔法を施した雪歩は、真に続いて建物の中に入っていった。
 天狗はそのまま気を失ってしまったようだった。

*****

 一行がニヒロ機構へ向かった理由は、数時間前、律子から提案された事が起因している。

「今、ニヒロ機構は一強。他の誰も、創世を行えるほどのマガツヒを持ってはいないわ」
 HRインフォメーションの中で、律子は言う。
「情報によると、ニヒロ機構は既に守護って言う神様を降ろすだけのマガツヒを有している。コトワリも明確になっているわ。創世の準備はリーチってとこまで来てるってわけね」
「じゃあ、どうするんだ? すぐにどうにかしないと、ボクらは完全においていかれちゃうよ」
 創世は一人だけに許された権利。早い者勝ちである。
 ニヒロ機構のトップがその権利を手に入れれば、他の者は全て、創世によって作られた世界に従わなければならない。
「だから、守護を降ろしちゃう前に、アンタたちがマガツヒを奪っちゃえばいいのよ」
「奪っちゃえば良いって……リツコ! アンタ、簡単に言いすぎじゃないの!?」
「おぅおぅ、デコちゃん、図体だけじゃなくて態度もでかいわね。……確かに、ニヒロ機構は大きな組織よ。真たちがどれだけ強くたって、数で攻められれば苦戦は必至でしょうね。でもチャンスがないわけじゃない」
 律子がターミナルに手を触れると、円筒形の部分が回転を始め、彼女に情報を伝える。
「ニヒロの主力は今、大移動を開始しているわ。行き先は……ちょっと離れた市民会館ね。そこで守護を降ろす儀式を行うようね」
「じゃあ、それを叩けばいいのか!?」
「そっちに行けば、十中八九、返り討ちに遭うわよ。言ったでしょ、そっちが主力なんだってば。アンタたちが行くのは、空になったニヒロ機構のアジトよ」
「そこに何があるんだ?」
「ニヒロ機構がマガツヒを集めるために使っていた装置は、大量のマガツヒを集めさせたわ。それは単に守護の降臨、コトワリの啓示だけに集めていたわけじゃない。悪魔に分け与えて、自分の手駒を強化するために集めたものもあるのよ」
 マガツヒは『願い』を叶えるためのエネルギー。
 それを使えば、どんな小さな悪魔でも強い力を得る事が出来る。
 相応のマガツヒを集める事が出来れば、最強のピクシーを作る事だって可能なのだ。
「その強化のためのマガツヒが、まだアジトにあるはずよ。それを掠め取れば、真たちにも守護を降ろす事が出来る。そうすればニヒロ機構を出し抜く事は出来なくても、対等にはなれるはずよ」
 創世は守護を降ろした時点で行えるわけではない。カグツチに辿り着いて初めてそれが成るのだ。
 とすれば、危険を冒して出る杭を打つより、スタートラインを同じくする方が、安全だろうか。
「日和ってんじゃないわよ! 真! すぐに市民会館に行って、やつらをぶっ潰すわよ! そっちの方が手っ取り早いわ!」
「デコちゃん、焦りすぎなの」
「んなっ!? 雪だるまなんかに諭される覚えはないわ!」
「ニヒロなんとかって所も、守護を降ろしただけじゃ、創世は絶対に行えないの。創世するためにはまだ一個、鍵が足りないの。それが解けないと、ミキたちもニヒロなんとかも創世できないんだから、まだゆっくり行こうよ」
「悠長に構えてられないでしょ! 敵は私たちより数歩先を行ってるのよ!?」
「だから、ボクたちも同じスタートラインに並ぶんだ。あっちが先にスタートできない状態なら、焦って危険を冒す必要はない。そうだろ、ミキ?」
「そうなの!」
 真の願いは誰も失わずに創世を行う事。無理して突っ走った挙句、取り返しのつかない事になったら意味がない。
 とすれば、ここは律子の案に乗っておくのが無難。
 目指すはニヒロ機構のアジトだ。

*****

 と言うわけで、ニヒロ機構内部。
 建物の中は正に死屍累々。
 悪魔たちの死体が積み上げられ、そこかしこからマガツヒが溢れ出ている。
「これを、たった一人でやったのか……」
 その様子に、真はたじろぐ。
 死んでいる悪魔の数は尋常ではない。
 使役する悪魔がいたとしても、これをたった一人の悪魔使いがやったとなると、かなりの手練である事は間違いないだろう。
「下手すると、戦う事になるからね。アンタも気をつけなさいよ」
「わかってるよ。ボクが先頭を行くから、ホルスが殿、雪歩たちは固まってついてきて」
 パッと隊列を組み、エントランスホールを抜ける。
 すぐに廊下にたどり着き、更に下へと向かうエレベーターも発見する。
「動いてるみたいですね。どうします?」
「行くしかないでしょ。こんなところで怖気づいてなんかいられないわ」
「じゃあ、みんな入って」
 全員でエレベーターに乗り込み、地下へと向かう。


 地下へつくと、そこは螺旋階段のようになっていた。
「エレベーターを出てすぐ階段って斬新だな……」
「気をつけてください、下からすごく強い悪魔の気配がします」
 ホルスの注意を受け、真は螺旋階段の下を覗く。
 暗くなっていて良く見えないが、確かにそんな感じはする。
 下には何かがいる。
「よし、隊列を変えよう。ここまで来た様子からして、後ろからの奇襲はまずないだろうし、ボクとホルスが先頭、雪歩たちは後からついて来てくれ……雪歩?」
 真が後ろを振り返ると、雪歩が小さく唸っていた。
 自分で自分の身体を抱き、震えているようにも見える。
「雪歩!? どうしたんだ!?」
「う、うう……真ちゃん……」
「どこか痛いのか!? 苦しいのか!? イオリ! 回復を……」
「真さん、離れてください!」
 真が目を離した瞬間、雪歩は真に向かって飛び掛る。
 大口を開けて、まるで噛み付くかのように。
 ホルスのお陰で、真はそれを防ぐ事に成功する。
「ゆ、雪歩!? どうしたんだ!?」
「真ちゃん……おいしそう……」
「なっ!?」
「ちょっと味見を……うっ、ダメ! ……あぁ!」
 雪歩が真の首筋に噛み付こうとした瞬間、雪歩の動きが止まる。
「う、うぅ……真ちゃん、逃げて……」
「ど、どうしたんだ、雪歩!? なにがあったんだ!?」
「何も聞かないで、逃げて……ッ!」
 泣き出しそうな声でそう言った雪歩は、エレベーターから出て、螺旋階段を飛ぶように下っていく。すぐにその姿は見えなくなった。
 普段の身体能力では考えられないスピードだ。
「な、何があったんだ……!?」
「あれはチューナーの性です」
 雪歩を見送りながら、ホルスがそう言う。
「アバタール・チューナーとは、自分自身の身体を悪魔にチューニングして戦闘する人たちの事です。彼らは人でなくなったが故にマグネタイトを自身で生産できず、その枯渇が飢えとなって現れ、他者を食らって足りなくなったマグネタイトを補おうとします」
「雪歩がそれだって言うのか!?」
「真さん、雪歩ちゃんは悪魔の血が流れてるんじゃないですか? その場合、チューナーになってしまう可能性は大いにあります」
 そう言えば、シジョウも雪歩を見てそんな風に言っていた。
 と言う事は、雪歩はアバタールチューナーになってしまったと言う事だ。
「そんな……直せないのか!?」
「今のところ、アバタール・チューナーから元の人間に戻った例は確認されていません。ですが、彼らの飢えを抑える事はできます」
「ほ、本当か!?」
「ええ、とにかく今は雪歩ちゃんを追いましょう」
 壁に反響して足音が聞こえる。どうやら下へ下へとすごいスピードで進んでいるらしい。
 真はすぐに起き上がり、螺旋階段を下っていった。

*****

 アマラ経絡の奥の奥。
 深遠よりも一歩手前の場所で、あずさが目覚める。
 起き上がってみたものの、その目に生気が見られない。
 心に浮かぶ言葉が一つ。ああ、これでまたやり直し。繰り返し。
 ふと顔を上げると、やよいのポーチが目の前に落ちていた。
『三浦あずさよ』
「……だれ?」
 誰もいない場所から声がする。
『お前も覚醒者の一人となれ。繰り返すこの悪夢から、彼女を救い出してやるといい』
「誰なんです? 彼女って一体……?」
『お前は知っているはずだ。彼女が負った、世界を作り変える代償を。彼女が辿った末路を。だがそれは私が許さない』
「どういうこと?」
 周りを見回すが、あるのはマガツヒの流れのみ。
 精霊が見え隠れしてはいるものの、誰もあずさに見向きもしない。
「どこにいるの?」
『お前の想い人のすぐ傍だ。彼の者の魂は私が握っている』
「ぷ、プロデューサーさん!」
 途端にあずさの目に光が戻る。
 名を失くした男性、プロデューサー。彼はまだ魂の死には至っていないらしい。
「ど、どこにいるんですか!?」
『それを知りたければカグツチに至れ。創世の機はすぐそこまで来ている』
「創世……カグツチ……そうか、私は……」
 光の戻ったその目に、鋭く冷たい物が混じり始める。
 いつもの柔和な目ではなく、あるのは鋭い獣の眼光のみ。
「私はあの人の望む世界を作る。もう誰の力も借りたりしない。頼るから裏切られる。私は私の力で成し遂げてみせる」
 その眼光の睨む先は経絡の出口。光り輝くそちらへ、足を向ける。
 彼女の足元に、もうポーチはなかった。

*****

 ニヒロ機構の螺旋階段の最下部から繋がる部屋。どうやらマガツヒの貯蔵庫らしく、通路の下には赤黒い物がフラフラと充満している。
 その通路の上に、狂ったように吼える雪歩がいた。
「墜ちましたか。しかし、抗っているようにも見える」
 対するのは黒いマントを羽織ったデビルサマナー、葛葉シジョウ。傍らにはネコマタのヒビキもいる。
「どうする、タカネ! ここでやっちゃうか!?」
「いいえ、あのチューナーがいるのだとしたら、あのサマナーもここにいるはず」
 シジョウは部屋の出口にあるドアを見やり、少し笑う。
「あの方とは少し話してみたい気がします。それまで、あのチューナーは餌として手元に残しておきましょう。出来ますね、ヒビキ?」
「がってんさー!」
 指示を受け、ヒビキは雪歩に向き直る。
「う、うう……悪魔、食べる……おいしそう……」
「自分を食べるなら、相当の覚悟をしてもらわないとね! それこそ、死ぬような!」
「う、うう、うううう!!」
 強い唸り声を上げる雪歩。
 その途端、彼女の左腕に浮いている模様、アートマが光り、足元から光線が伸びる。
「気をつけなさい、ヒビキ。あれがチューナーの本当の姿です」
「へぇ、なかなか強そうじゃないか!」
 光線が治まった時、その場に雪歩はいなかった。
 いたのは女性形の悪魔のみ。
 八つの雷が身体を這い回るその悪魔は、ゾッとするほど美しかった。
「ぐぅ、うぐぐ……」
 その悪魔から漏れ出てきた声は、しかし雪歩のものだった。
 悪魔の姿は雪歩が変身した姿。チューナーとは自分の身体を悪魔に変えるもの。
 これが雪歩に備わった力である。
「食べたい……食べたくない……食べたい……食べたくない」
 雪歩はそんな事を呟きながら、その場にうずくまる。
 どうやら食欲と理性がせめぎあっているらしい。
「な、なんかおかしいぞ、コイツ」
「ヒビキ、こちらから手を出す必要はありませんよ。ああやって苦しんでいるうちは、こちらに害をなしては来ないでしょう。それより、サマナーが来ますよ」
 そう言ってシジョウの視線の先を見ると、ドアが音を立てて開く。
「雪歩! 大丈夫か!」
 入ってきたのは真一行。
 それを見た雪歩は、絶望的な顔を真に見せ、そのまま壁を破って逃走した。
「な、何だあの悪魔……いや、あれが雪歩なのか?」
「あれはチューナーの真の姿。どうです、サマナー。あれを見ても貴女はまだ、彼女を仲間と呼べますか?」
 面を食らっていた真に、シジョウが質問を投げかける。
「どういう意味だ!」
「そのままの意味です。あの少女は明らかに人の輪から外れました。しかしあのような面妖な姿になったとしても、生きる本能には抗えず、他を食らい、その内貴女にまで危害が及ぶかもしれません。それでも貴女は彼女を仲間と呼び、隣に置いておけますか?」
「当たり前だろ!」
 その質問に、しかし真は即答する。
 今度面を食らったのはシジョウの方だった。
「雪歩は大事な仲間で、ボクのパートナーだ! どんなに姿が変わっても、ボクは雪歩と一緒に居続ける!」
「……少し妬けますね。それほど信頼できるパートナーが居ると言うのは」
「君にとって、そのネコマタは違うのか?」
 真に言われ、シジョウとヒビキが顔を合わせる。
 最初に笑ったのはヒビキの方だった。
「やめてよ。自分とタカネは契約で一緒に居るだけの、サマナーと悪魔だぞ? 仲魔であっても、仲間じゃない。用済みになったら合体なりなんなりしてくれた方が、自分としてもマシだね!」
「……というわけです。私たちの関係とはそういうもの。悪魔と人間とはそれで十分なのです」
「一時的な協力関係って事か?」
「その通り。……逆に問いましょう。貴女は恒久的な協力関係を悪魔に望むのですか?」
 言われて真は後ろを振り返る。
 そこに居たのはイオリ、ミキ、ホルス。
 彼女たちの協力を得られるなら、心強い。
 しかし、
「それは現世においても? このボルテクス界だけの協力ならば、それは恒久的とは言えないのではありませんか? 貴女は仮にカグツチに至ったとして、悪魔の協力を得られる世界を作るつもりですか?」
 シジョウの言葉で心が揺れる。
 考えて見れば、悪魔の出現と共に真の日常は崩れた。
 悪魔が現れなければGUMPを手に入れることもなかったろうし、雪歩があんな目に遭わなくても済んだはずだ。
 じゃあ、真は悪魔の居ない世界を作りたいのだろうか?
「悪魔の居ない世の中の方が、過ごしやすいとは思いませんか? 悪魔など最初から居なければいい、とは考えませんか?」
「違う、それじゃあ、取りこぼしてしまった物を、全部拾い上げられてない」
「……その言葉の意味は問いませんが、それは返答として否と言う事でよろしいのですね?」
「ボクは全部を取り戻す。イオリたちだって、誰一人欠けさせたりしない。ボクはボクの居た全ての世界を元通りに戻すんだ」
「なるほど。貴女の心の内、良くわかりました」
 そう言ってシジョウはマントの内側から管を取り出し、ヒビキをその中に戻した。
 戦闘状態ではない、と言う意味だろう。
 それを見て真も警戒を解く。
「返答が違っていれば、この場で貴女を討ち、私が創世をするつもりでしたが、貴女を信用しましょう。ここにあるマガツヒを全て持っていきなさい」
「君はどうするんだ?」
「私は私のやるべき事があります。まずはそちらを片付け、再び貴女の許を訪れましょう。しかし注意なさい。私はいつでも貴女を見ています。その向かう先が私と対立した場合、容赦なく貴女を切り捨てます」
 シジョウは懐からかんしゃく玉を取り出し、床に叩きつける。
 すると閃光が走り、真たちの目がくらんでいる間に、シジョウはどこかへ消えた。
「な、なんだったんだ……?」
「とにかく、今はマガツヒを回収して、ユキホを追うわよ! あの娘をあのまま放っておけないでしょ!?」
「そ、そうだね」
 イオリに言われて、貯蔵庫からありったけのマガツヒを手に入れ、真たちは雪歩がぶち破った壁の中へ消えた。

テーマ : 二次創作:小説 - ジャンル : 小説・文学

真・菊地探偵事務所 三章 4

4 閉じる世界

 セトを倒した真達は、奥に見つけた通路をそのまま辿る。
 風の吹く方へと歩を進めると、いつしか眼前に光が見えてきた。
「あれは……」
「悪魔ではなさそうですね」
 真が様子を窺っていると、横からホルスが囁く。
 その言葉を信じ、更に進むとその光が出口の光だった事に気付いた。
 久しく壁のない場所に出ていなかったので、自然と足も早くなり、一行は駆け足で外へと出た。
「うわ……」
 しかし、そこで見た世界は全てを壁で囲まれた町。
 いや、その町自体が壁を形成していると言い換えた方がいいだろうか。
 地面がせり上がり、頂点で融合する。まるで風呂敷で物を包むようにして、地面がめくれ上がっていたのだ。
 そして、天井に位置する地面にも、普通に建物が建っている。あちらにも重力が外側へ働いているらしい。
 極め付けに、その閉じた世界の中心に、ぽっかりと青い光を放つ星の様な物が浮いている。
 これが受胎により出来上がった、生まれ変わる前の世界、ボルテクス界である。
「あの浮いているのがボルテクス界の創世の鍵、カグツチです」
「カグツチ……どこかで聞き覚えが……」
「あの、真ちゃんの持っているその剣の銘って……」
「そうか、これもヒノカグツチだ。どうして同じ名前をした物があんなところに……?」
 真は自分の持っている剣、鞘に収まったヒノカグツチと天に浮くカグツチを交互に見て首を傾げる。
「真さんの持つヒノカグツチと、あのカグツチは似て非なるものです。貴女の剣であるヒノカグツチは『神殺し』の神性だけを抽出した唯一無二の最強剣。そして、天に浮くカグツチは創造と再生の神性を凝縮したエネルギー体です。ですが、貴女の剣もあの星も、どちらもアクマと呼んで差し支えはないですよ」
「な、なるほどなー」
「アンタ、理解してないでしょ?」
 イオリに突っ込まれ、真は冷や汗をたらした。


 改めて辺りを見回すと、見慣れた町並みが変形した姿で残っているのがわかった。
 ここはHRインフォメーションのあったオフィス街の近くだ。
 しかし、良く見ると町の中心近くに大きなクレーターが出来ている。
「あれもボルテクス界が出来た影響なの?」
「さぁ、あればっかりは私にも……」
 今まで流暢に説明していたホルスも口ごもる。
 ボルテクス界が出来ると、地形が変わったりする事はあるが、あれだけ傷跡が新しすぎる様な気もする。
「あれは誰かが戦った跡じゃないの? 前にも見覚えあるわよ?」
 イオリが呟くのに、ホルス以外の記憶が刺激される。
 確かに、あずさの家付近で千早と戦った時、あんなえぐれた地面が出来上がっていた。
「じゃあ、近くに千早がいたって言うのか?」
「その上、派手にやりあったみたいじゃない。千早と同等のアクマがいると思って間違いないでしょうね」
「ちょっと見ない間に、この町もすごく変わったな……」
 なまじ見覚えのある風景が混じっているのが、その感想を深くさせる。
 変わり果てた馴染みの町。その中に、一行は足を向けた。

****

「貴女の持つペルソナは、最高位と言って良い。それ以上を求めるとなると、少々辛い道を進む事になりますな」
 青暗い部屋、ベルベットルームの主人であるイゴールは、千早にそう言った。
「どんなに辛かろうと、私は歩むわ。だから教えて。どうすれば強いペルソナを手に入れられるの?」
「ふむ、生半可な覚悟ではない、と言う事でしょうか。よろしい、お答えいたしましょう」
 そう言ったイゴールは一つのタロットを掲げる。
 書いてある文字は『世界』の文字。
「これは昔、とある少年が手に入れた世界で唯一のペルソナ。このペルソナは奇跡を可能にする強さを持っております。これさえあれば、貴女の望むままに世界は姿を変えるでしょう」
「そ、そのペルソナ……」
「しかし、貴女ではこれを扱う事はできない」
 イゴールはカードを懐に入れ、頭を振った。
 それを見て、千早の眉間にシワがよる。
「どういうつもり?」
「このペルソナはコミュニティの力の結晶。他人との絆を最大限にまで強く結び、それを幾重幾本にも及んで織る事が出来て初めて手にする事ができるのです。……言いにくいのですが、貴女はその資格をお持ちでない」
「他人との……絆?」
 言われて過去を振り返る。
 確かに、それほど強く結んだ絆など覚えもない。
 唯一あるとすれば、今は宿敵と呼んで相応しい相手とだけ、何物にも代えがたい、強い絆を結んだ事があっただろうか。
 しかし、思い浮かんだその絆を、千早はかき消す。
「じゃあ、他には?」
「それ以外にシヴァ以上の力を持つペルソナとなりますと難しいですな。同等の神格を持つヴィシュヌは力量も同等。数段上をお望みならば、それは私の既知の外となります」
「……役に立たないわね」
 苛立ったように椅子から立ち上がり、千早はドアに手をかける。
 出て行こうとする千早に、イゴールは最後に声をかける。
「お客人、コミュはペルソナの力になります。絆を結べばペルソナも強くなりましょう」
「私は今まで一人でやってきたわ。これからもそうするつもりよ」
「そうですか……では最後に一つ、くれぐれも『反転』なさいませんよう、お気をつけて」
「……? 良くわからないけど、心に留めておくわ」
 千早の背中が見えなくなっても、イゴールはその気味の悪い笑みを絶やさず、ドアを睨むようにして見ていた。

****

 春香とモムノフの前に立ちはだかる、酩酊者は高笑いする。
「がっはははは! その程度で俺に立ち向かうつもりだったのか!? 甘い、甘すぎるぜ、テメェらぁ!!」
 千早が向かった方へ続く道は、地下道の一本道。
 しかし、その狭い通路には、ドでかい魔神マダが行く手を塞いでいたのだった。
「くそっ、なんなのよ、アイツ! 私のパンチが効かないどころか、衝撃を受けて大きくなってる……ッ!」
「コイツは物理的な衝撃を吸収して強くなるんだよ! だからお前を連れてきたってのに……」
 行く手を阻むマダの前に、春香もモムノフも苦戦していた。
 と言うのも、攻撃手段のバリエーションに乏しい二人は、マダの物理攻撃を吸収する特性に難儀していたのである。
「おいハルカ! お前、マグマなんちゃかって撃てないのかよ!?」
「なによ、その……マグマなんちゃかって」
「お前の得意技だろ!? 忘れたとか言うなよ!?」
「得意技も何も、聞いたことすらないわよ!」
 言い争っている間にも、マダの攻撃が襲い掛かる。
 周囲を覆うように充満する酒気。それが春香とモムノフの感覚を鈍らせる。
「うぷ……気持ち悪い……」
「ぐぅ、酒に弱いわけじゃねぇが、これは辛ぇな……ッ!」
「そのまま酔いにおぼれて死んでいけよ、雑魚共がぁ!」
 大きく突き出されたマダの両手から、黒い衝撃波が発せられて二人を襲う。
「さっきの女には後れを取ったが、俺ぁこの道の番をしっかりやり通すぜぇ!」
 自身の最大攻撃を直撃させ、勝利を確信したのか、マダは高笑いを上げる。
 しかし、その黒い衝撃波が過ぎ去った後に、しっかりと二人は立っている。
「気分の悪さは取れないけど、攻撃は大した事ないわね」
「こちとら打たれ強いのが自慢だ。そんなヌルい攻撃じゃ、倒れねぇよ」
「なぁっ!? 雑魚の分際で往生際が悪いぜ!」
 一瞬うろたえたマダだが、しかしもう一発、攻撃をしようとしたところで、モムノフは背を向ける。
「こりゃ旗色が悪い。ハルカがマグマなんちゃらを撃てると思ったからつれてきたのに、とんだ誤算だぜ」
「そりゃ悪かったわね! で、逃げるの?」
「ああ、背に傷を受けるのは武士の恥……だが、それでもやらなきゃならん事が、俺にはあるんだよ!」
 モムノフはそのまま一目散に逃げ出す。春香もしぶしぶながらそれを追った。
 マダを相手にするには手札が足りない。このままでは一方的な消耗戦になってしまう。
 ここは出直すのが得策だろう。
「ぎゃははは! いいぜ、ここは見逃してやらぁ! でも次はないと思えよ!」
 そう言ってマダは二人を見逃すようだった。
 屈辱ではあったが、今はそれを我慢しよう。

****

 オフィス街の地下まで戻ってきた春香とモムノフ。
 落ち着いたところで作戦会議だ。二人はどうしても、マダのいる場所より奥を目指したい。
「で、どうするのよ? 何か方法はあるわけ?」
「……お前が何か強力な魔法を使えればそれで良いんだけどな」
「強力な魔法……今使える魔法じゃ心許ないかしらね」
 ヒビキと戦った時に見せたアギダインはかなり強力な魔法だが、それでも力不足と言う事だろうか。それよりも強い魔法となると、千早の使うようなメギドラオンなどしかないように思える。
「前に聞いた事がある。人修羅って特別な悪魔にはソイツしか使えない魔法や特技があるらしい。それを使えるようにするには、マガタマって言う蟲みたいな奴を使って力を解放するといいんだとよ」
「人修羅……って、あのデビルサマナーだか言う女が、私の事をそんな風に呼んでたわね」
「やっぱり、俺の思った通りだ。お前が人修羅なら、お前の力をマガタマで解放すれば、あのマダって悪魔も楽勝だぜ」
「じゃあ、私一人でも通れそうね。と言うわけで、アンタとのチームも解散ね」
 そう言って春香は手を振り、モムノフと別れようとするが……
「おい、行き先はわかるのかよ?」
「行き先?」
「マガタマにはそれぞれ特性がある。ちゃんとマガタマを選ばないと、欲しい魔法は覚えられないぜ? そして、俺の手の内に一匹、マガタマがいる」
 モムノフが取り出したのは銀色の芋虫のような物体。
 動いてはいるが、その見た目が無機物っぽいので、生物の様には見えない。
「それがマガタマ……? これをどうするのよ?」
「飲み込むんだとよ」
「そう言うのはテレビ番組だけで十分よ。ゲテモノを食べるなんて、絶対嫌だから」
「じゃあどうするんだよ? このまま手をこまねいてるのか? 正直、あのマダを抜く方法なんて、俺にはそうそう思いつかないぜ?」
 春香にはもう一つ、手が浮かんでいる。
 真に打診し、雪歩を連れてきてもらうこと。彼女は確か魔法が使えたはず。もしかしたらマダを倒すような強力な物を持っているかもしれない。
 しかし、こないだ『一人でやる』と言った手前、すぐに助けを求めるのも憚られる。
「……わかったわよ、食べればいいんでしょ!」
 どうやらプライドが勝ったらしい。覚悟を決め、春香はモムノフからマガタマを奪った。
「じゃあ、そのマガタマをやる代わりに、俺もあの奥へ連れて行ってもらうぜ」
「仕方ないわね、契約成立って事で」
 鼻をつまみ、春香はマガタマを口の中へ放り込んだ。


 ふと、世界が暗転する。
 春香は自分が目を閉じていることに気付き、まぶたを開く。
「ようこそ、人修羅。待っていたよ」
 視界が開けると、そこは舞台の様だった。春香は観客席に立っている。
 周りは赤黒く胎動し、それが何か力の流れだと、本能で理解した。ここはアマラ経絡の外れ。いや、もっと深い場所。
 見上げると、ステージの上には金髪の老人が車椅子に乗っている。
「あ、アンタは……?」
「覚えていないのも無理はないか。私は君に新たな命と力を吹き込んだ者だ。そして、君をここへ呼んだのも他ならぬ私」
「何の目的で? やりあおうって言うなら容赦しないわよ?」
 パッと構える春香だが、それを見て老人は笑う。
「いやいや、私は君と事を構えるつもりはないよ。逆に、君に協力したいんだ」
「……協力? 何が望み?」
 すぐにギブアンドテイクの考えに行き着くのは、商売をしている人間の性か。
「対価は求めない。ただ、君は君のまま、このボルテクス界を歩くが良い。君の望むまま、君の思うまま、この世界を見て、感じて、そして答えを出してもらおう」
「答え……?」
「そう、最終的に堕ちたる天使、明けの明星の駒となるのか……あるいは」
 老人が春香に向けて手を差し伸べると、また視界が暗転する。
 彼女は自分の目ゆえに見えてはいなかったが、その目が一瞬、赤く光る。
「その心は人のままでいられるのか」
 心に深く響くように、老人の言葉は春香の耳へと落ちていった。


「お、おい! どうしたんだ!?」
「……え?」
 気がつくと、モムノフが春香の肩をつかんでゆすっていた。
「いきなり気を失うんだからビックリしたぜ。何があったんだよ?」
「私にも良くわからない……でも」
 春香は自分の拳を見て、ただならぬ力を感じる。
 それはどんな盾も鎧も、軽く貫いてしまうような力。
 これがあればマダも、あのヒビキと言うネコマタも怖くない気がしてくる。
「行こう、モムノフ。リベンジマッチよ」
「はぁ? 魔法はどうしたんだよ?」
「そんなもの、必要ないわ!」
 みなぎる力を感じ、春香は笑みを浮かべずにはいられない。
 この力があれば、どんな世界も渡り歩ける。そんな気すらした。

*****

 再び意気揚々と、二人はマダの許までやってくる。
「あぁ? またお前らかよ。なんだ、死にに来たのか?」
「逆よ、アンタなんか、一撃で葬ってやるわ」
「……笑えねぇ冗談だな、おい! 出来るもんならやって見やがれ、コラァ!!」
 振り上げたマダの拳が、猛烈な勢いで春香の上に降りかかる。
 傍で見ていたモムノフは肝を冷やした。春香は一切の防御行動を取っていないのだ。
 しかし、彼女は口元を緩める。既に、何の恐怖も圧力も感じない。
 マダはもう、彼女の敵ではない。
「笑わせるわ、その程度!」
 マダの拳がぶつかる直前、瞬速で繰り出される左の拳。
 ぶっきらぼうに振りぬかれたその拳は、マダの右腕を粉々に砕いた。
「お、おおお! ぐおおお!!」
「私は手に入れたわ、アンタなんか片手でぶち破る力を! でも、だからって手は抜かない! 全力で、確実に、完膚なきまでに、アンタをぶち壊してやる! モムノフ、タルカジャ!」
「お、おう」
 春香のオーダーに、モムノフは慌てて答える。
 物理的な衝撃を倍に、更に倍に、モムノフの補助魔法で春香の破壊力が恐ろしいほどに高まる。
「こ、この! 雑魚悪魔風情が! 俺様に楯突くと、どうなるかわかってるのか!」
 やられる前にやれ、と言う心積もりなのだろうか、マダは黒い衝撃波を何度も発生させるが、それでは春香もモムノフも止められやしない。
「これで限界まで補助はかけたぜ」
「ありがとう。……さぁ! コレからが私のターンよ!」
 春香は腰を落とし、右腕を高く掲げる。
 その手に光が凝縮し始め、その形を剣のように作り上げる。
 気合も十分入り、自身でも最高の攻撃が打ち出せる気がした。
 この攻撃は、もう誰にも止められない。誰も耐えられない。
「喰らえッ! コレが本当の……冥 界 波 ッ!!」
 その剣を振り下ろすと同時、切っ先からとてつもない衝撃波が轟く。
 赤黒くのたうつ攻撃的な波は、そのままマダを飲み込み、グシャグシャに噛み潰して余波だけ残して消え去る。マダの姿はもう、どこにもなかった。
「ふぅ、楽勝」
 手に握った光の剣も掻き消え、春香はため息をつく。
 これで地下道を塞いでいたものはない。
「さぁ、すぐに千早ちゃんを追いましょう」
「あ、ああ……」
「どうしたのよ?」
「やっぱり、お前は恐ろしいなって思ってよ」
「ふふ、なんなら私の下につくかしら? 良い合体材料にしてあげるわよ?」
「はっ、ごめんだね。俺には先約がついてるんだ」
「あら、残念」
 そんな事を言いつつ、二人は先を目指した。

*****

「な、なんだ?」
 地響きが聞こえ、真は辺りを見回す。
「大方、悪魔が暴れてるんでしょう。最近は頻繁になったわ」
 答えるのは律子。
 真たちはHRインフォメーションを見つけ、そこで律子と合流していたのだ。と言っても、イオリは別の用事があるとかでいなく、それに付き添ってホルスと雪歩もいない。
 ここにいるのは律子、真、ミキだけである。
「さて、私が集めた情報によると、今、このボルテクス界はたった一つの組織が覇権を握っているわ」
「覇権って……そんな大げさなものなの?」
「当たり前よ。ボルテクス界を制した者が、次の世界の創造主になるのよ? ボルテクス界を制す者は、世界を制すわ」
 確かに、真は軽く考えていたが、律子の言う通りだ。
 この世界を生き残り、カグツチに至った者が創世を行う。つまり、どんな世界も思い通りというわけだ。
「んで、その創世の方法なんだけど……」
「ミキ知ってるの。マガツヒを集めて、コトワリを啓いて、カグツチに登るの」
「そう、その通り。でも言うほど簡単じゃないわ」
 律子は難しそうな顔をしながら顎を押さえる。
「さっきも言った通り、今、ボルテクス界はある組織、ニヒロ機構と言う組織の一強よ。それにそいつらはアマラ経絡を牛耳って、世界中のマガツヒの行き来を管理してる。創世に必要なマガツヒももうすぐ溜まる計算よ」
「じゃ、じゃあ先を越されちゃうじゃないか!」
「そう、残念ながら、ボルテクス界を観光して回るって言う悠長な事もしてられなくなったわ。でも先を越されない為に、打てる手もある」
 企み顔で笑う律子に、真は心強さと恐怖に似た感情を覚え、ただただ苦笑する。

*****

 地下街の中にあった一つの店から、イオリが出てくる。
「ふっ、これから始まる、私の伝説……」
 しかし、その姿は以前のものとは違う。
 まず、明らかに等身が高い。八頭身のそのスタイルは、以前のピクシーからは想像も出来ない。それもそのはず、イオリはもうピクシーではない。
 バンナムの地下で発見した幾つもの宝石と精霊を交換し、更にその精霊と自分自身を合体させる事で、今やイオリは妖精の女王となったのだ。
「これで、あの真にも雪歩にも、ミキにも春香にも、誰にもでかい面させないんだから!」
 声を聞きつけ、ホルスがパタパタと飛んでくる。
「おや、イオリちゃん、見違えましたね」
「ふん、今までの私と侮るんじゃないわよ? なんたって、妖精女王なんですから!」
「ほぅ、女王様……それはそれでアリピヨ……」
「なにブツブツ言ってるのよ、怖いわね……それより、雪歩はどこ?」
「雪歩さんですか? 確か向こうに……」
 そう言ってホルスが指す先、暗がりでうずくまっている雪歩がいた。
「雪歩! なにやってるのよ、そろそろ帰るわよ!」
「えっ!? あ、うん、今行く……」
 ヨロヨロと立ち上がった雪歩は、背を向けたまま口元をぬぐい、二人に駆け寄ってきた。
「あ、雪歩! あんなところでうずくまってたから、服が汚れてるじゃない!」
「えへへ、ごめんね。真ちゃんに怒られるかな……?」
「どうかしらね、今までだって散々土まみれ埃まみれになってたんだから、別にいいんじゃない? 女としてはどうかと思うけど」
「うん、そうだね……」
 力なく笑う雪歩に対し、イオリは張り合いがない、と先を行ってしまった。
 雪歩もそれに続いてその場を後にするが、ホルスだけその場にとどまり、雪歩の座っていた場所をチラリと窺う。
「これは……研究結果が役に立ちそうですかね」
 そう呟いた後、二人を追いかけて飛んでいった。
 残ったのは食べかけの悪魔の残骸のみ。

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真・菊地探偵事務所 三章 3

3 地下の暴風

 HRインフォメーションの事務所内に、ターミナルと呼ばれるオブジェと同じ形をした物が置かれてあった。
 春香も律子も、こんな物を調度品として置くような趣味は持ち合わせていないし、恐らく、受胎後に誰かが置いた物なのだろう。
 そのターミナルが、無人の事務所内でひとりでに回り始める。
 回転の速度が速まり、それが最高潮に達すると、辺りを閃光で埋めた。
 光が収まると、そこには律子と春香が現れていた。
「ここは……事務所? なんでこんな所に?」
「このオブジェがここに置かれてた所為みたいね。なるほど、やっぱりターミナル同士は繋がってるみたいね」
「アマラ経絡、ってヤツ? 正直、よくわからないけど、便利なモノがあったものね」
 二人が突然、事務所に現れたのにはトリックがある。
 ボルテクス界となったこの世界には、ターミナル同士を繋ぐアマラ経絡と言う物がある。全ての力の源であるマガツヒの通り道であり、世界を繋ぐ情報網であり、移動の為の手段でもある。
 ターミナルの転送機能を使えば、瞬時に別のターミナルへと移動する事が可能なのだ。
「それで、律子は本当に一人で大丈夫なの? 私は悪魔の力を得たみたいだけど、律子はそうでもないんでしょ?」
「言ったでしょ? これでも腕に自信はあるのよ。春香に心配されるほどじゃないわ」
「そう……。なら信じるわ」
 長い間、相棒として培った信頼はある。
 律子が大丈夫だと言う時は、大丈夫だ。
「春香の方はどうなのよ? 何かアテはあるわけ?」
「アテ……か。これと言ってないわね」
 千早がどこに行ったか、なんてわかるわけもないし、自分の力をどう伸ばして良いかもわからない。完全な暗中模索状態である。だが、それで立ち止まるわけにもいかない。
「律子から教わった事よ、アテがないからって諦めないってね。足を使えば情報は集まってくるわ、きっとね」
「……わかってるなら、よし。行ってらっしゃい。お互い、死なない様にね」
「ええ、律子も気をつけて」
 相棒からの信頼を受け、二人はここで別れる事になった。
 ドアを開けて出ていく春香を見て、律子は携帯電話を握る。
「大丈夫、きっとこの世界は変わっている。あの娘は死んだりしないわ」
 自分を勇気付ける様に零し、『らしくない』と自嘲しながら、ターミナルに向き合った。
 情報を集めるなら広く。ターミナルならばそれも簡単に行えるはず。
「さぁて、まずはコイツをどう上手く動かすかが問題ね。腕が鳴るわ」
 仕様書がついているわけでもなし、『前の世界』とはターミナルの中身が変わっているらしい。こちらも暗中模索っぷりは春香に負けていなかった。

*****

 バンナム地下。
 廊下を突き当りまで歩くと、そこに横穴が開いていた。
「風が通ってる……。奥はどこかに繋がってるのかな?」
 多少強い風が穴から吹いてきており、真は帽子を飛ばされない様に押さえる。
「これは外と繋がっているわけではなく、セトが起こしている風でしょう。あの神は嵐と戦争の神ですから」
「ホルスはセトってヤツの事、よく知ってるの?」
「ええ、一応。セトは私の叔父に当たりますし、それに父の仇でもあります。敵をよく知る事は勝ちに繋がりますから」
「叔父が仇……って、なんだか深い関係だったんだね」
 割りと緩い印象しか受けていなかったホルスだが、どうやら色々と背負って生きているらしい。人は見かけによらない、とはよく言ったものだ。
「セトは強大な神です。準備は良いですか?」
 ホルスが確認するのに、真達は無言で頷き、その横穴へと足を踏み入れていった。

 穴の中は入り口からすぐに斜面になっており、下へ下へと降りていく形になっていた。
 奥へ進めば進むほど、セトが起こしているらしい風が強くなり、それから感じられる威圧感も増していく。
「なんか、陰気な場所ね。暗いし、狭いし、さながら冥府って感じ?」
「そうですね……ホルスさんがいなかったら、真っ暗で何も見えません」
「デコちゃんがいればきっと平気なの。そのおでこでなんでも照らしてくれると思うな。ほら、赤鼻のトナカイ、みたいな感じなの」
「どうやらアンタは、私のジオンガの餌食になりたいみたいね」
「ちょ、ちょっと、ダメだよ。こんな所で暴れたら……」
「わかってるわよ! ミキ、ここから出たら覚えてなさいよ」
「あふぅ、ミキ、覚えてるのって苦手だな」
 背後で繰り広げられる言い合いを聞きながら、先頭を行く真は苦笑していた。
 その隣を飛んでいたホルスも、
「準備はいいか、なんて愚問でしたね。皆さん、随分余裕綽々で……」
 と零していた。
「平静を保ってられるのは良い事だと思うよ。まぁ、あんまり気が抜けすぎてても困るけど」
「ええ、ですが気負いすぎても力は発揮できませんし、良い状態なのかもしれません。……にしても懐かしいなぁ、この雰囲気」
「ホルスも前は誰かと一緒にいたの?」
 真に尋ねられ、ホルスはハッとくちばしを押さえる。
 何か言ってはならない事を言ってしまったのだろうか?
「き、聞かなかった事にしてください」
「……ミキもそうだけど、二人は何を隠してるの? って言うか、ホルスとミキはどこで知り合ったのさ?」
「うぅ、黙秘権を行使します」
 これ以上失言しない為か、くちばしをきつく結んだホルスからは、何も聞けなさそうだった。かと言って、ミキはホルス以上に何も教えてくれなさそうだし、結局真は何も知る事が出来ない様だ。
「いつかは教えてくれても良いんじゃない?」
「……いえ、きっとこれは自分から知らないとダメな事なんです。そう言う制約の元、私達はこの世界に特別な存在として現れたんですから」
「ホルスやミキからは何も教えてくれない、って事?」
「すみません……」
「まぁ、何か事情があるなら仕方ないけどさ……」
 多少残念ではあるが、この間、ミキは『消される』とか何とか言っていた気がする。それほどの危険をおしてまで、二人から聞く事でもないか、と自分を納得させた。


 洞窟を更に進み、風が強くなり始めた頃、風に乗って竜の声まで聞こえていた。
「……近いね」
「敵はもうすぐですね」
 先頭を歩いていた真とホルスが足を止め、後ろを振り返る。
「みんな、ここからは注意して。相手は相当強いらしいし、油断は出来ないよ」
「う、うん」
「わかってるわよ」
 雪歩とイオリの返事を聞いて、真は更に奥へと歩く。
 程なくして、開けた場所に出た。ターミナルが置いてあった部屋よりも一回りほど大きいだろうか。
 そこから吹きつけて来る風は既に暴風。息もし辛くなるほどだった。
 部屋の中心を見ると、闇に紛れる様に、漆黒の翼竜がそこにいた。
「……性懲りもなく戻ってきたか、死に損ないめ。余程父の後を追いたいと見える」
 翼竜が地面に足をつけると、風は止み、辺りが俄かに静かになった。
 その竜はホルスを睨みつけて、低く腹に響く声で喋った。
「私は諦めませんよ。貴方を、父の仇を討つまで」
「それで援軍を連れて来たと? ふっ、人間風情に何が出来る」
 真を見て笑った翼竜は、一つ大声で吼える。
「グオオオオオオオオオッ!!」
 壁に反響し、地震のような振動が辺り一面に伝わる。
「な、なんて大声……ッ!」
 慌てて耳を押さえた真達だが、それでもこの大声は暴力的なレベルだった。
 もう少し踏ん張りが利かなかったら、また洞窟の方へ押し戻されるほどだ。
「なめられたものだな!! 人間如きに媚び諂うとは、それでも貴様、神の端くれか!!」
「真さんには神を従えるだけの器があります。貴方も殺されたくなかったら、命乞いをしたらどうです?」
「囀るな! 良いだろう、そこまで言うなら貴様等全員、八つ裂きにして冥界にばら撒いてくれる!!」
 竜はもう一声鳴くと、再び羽ばたき始め、宙に浮いた。
「さぁ、アレがセトです。皆さん、頑張りましょう!」
「が、頑張りましょうじゃないよ! 何勝手に挑発してるのさ!?」
「私は本心を言ったまでですよ。来ますよ!」
 ホルスに注意する間もなく、セトの口から突風が吹き荒れる。
「きゃあ!!」
「い、イオリ!?」
 一行の中で飛び抜けて軽いイオリは、風に煽られ、そのまま洞窟の奥へと吹っ飛ばされた。
「デコちゃんの事は後回しなの! 今背を向けたら、やられちゃうよ!」
「わ、わかってる! ボクとミキで前衛を引き受けるから、ホルスと雪歩は援護をお願い」
「わかりました」「わ、わかった」
 陣形を組み、一行はセトへと立ち向かう。

*****

「これは……」
 地下街から出てきた春香は、その光景に言葉をなくした。
 窪んでいる。隕石でも落ちてきたかのようだった。
 これに似た光景を、一度どこかで見たような気がしていた。
 そう、アレは……。
「あずさって人の家の近くだったっけ。確か、千早ちゃんの魔法で林がこんな風になってた。と言う事は、これも千早ちゃんが?」
 だとすれば一足遅かったのだろう。
 見通しの良いこの場所に、千早どころか、人影は一つも見当たらない。恐らく、入れ違いになったのだ。
「まぁ、悔やんでも仕方ないわ。ここからどこに行ったか探さないと」
 地上には悪魔の姿すら見当たらない。春香は地下街に戻って情報収集する事にした。

 地下に戻ってすぐ、春香はとある悪魔に見つけられる。
「あ、アンタ」
「……ん? 誰よ?」
 深い緑の具足を着込んだ武士が春香に声をかけていた。
「やっぱり、妙な刺青はあるが、間違いないな。アンタ、ハルカだろ?」
「どうして私の名前を!?」
「警戒しなくていい。アンタ、千早を探してるんだろ?」
「……居場所を知ってるの?」
「いいや。だが、この辺りには居ない事は知ってる。どっちに行ったかってのもわかってる」
「なら、さっさと条件を教えなさい」
 こんな世の中でもギブアンドテイク。
 扱っている物は特異だが、春香も一応商人なのだ。その辺のルールは染み込んでいる。
 この悪魔が話しかけてきたのは、『千早の行き先』と言う情報への対価を求めたからだろう。普通の悪魔なら襲い掛かってくるものだが、この悪魔は話しかけてきた。と言う事は話し合いでも解決できるはずだ。
「条件ね。話が早くて助かるぜ」
「何がお望み? 私に出来る事ならある程度やるけど」
「俺を連れてけ」
「……は?」
 その条件はおかしな物だった。
「行く先にちょっと用事があるんだが、一人じゃ通りにくくてな。だから同行させて欲しいって事だ」
「……それだけで良いの? 別に、連れてくのは構わないけど、道中でアンタがどうなっても知らないわよ?」
「お前に心配されるほどヤワじゃないさ。で、どうなんだ?」
「……良いわ、連れていきましょう」
「よっし、交渉成立だな。俺はモムノフ。今後ともよろしくな」
 と言うわけで、春香には妙な道連れが出来た。

*****

 洞窟内に吹き荒れる突風の中、真達はセトを相手に苦戦していた。
「マハガルダイン!!」
「うわっ!!」
 竜巻のような物が真達の目の前に発生し、その風圧で壁に向かって思いきり吹き飛ばされる。真と雪歩は何とか踏ん張った物の、ホルスとミキは壁に背中を強か打ちつけた。
「思った以上に強いな……。雪歩、二人の回復を頼む」
「うん、任せて!」
 力強く頷いた雪歩はホルスとミキに駆け寄り、回復魔法を行使する。
 魔法を行使する度に悪魔に近付いていく雪歩。だが真はそれを止める事はなかった。
 どうやらセトは強大な相手の様で、手を抜いて勝てるとは思えない。
 雪歩の悪魔化は止めたいが、死んでしまっては元も子もないのだ。
「ゴメン、雪歩……。でもボクが必ず元に戻すから」
 痛む胸を押さえ、真は炎の剣を構えてセトに斬りかかる。
「無駄だ!!」
「ぐぅ!」
 だが、セトの羽ばたき一つで、真の進攻は押し止められてしまう。
 何か策がなければセトに勝つ事は出来ないだろう。
「どうしたら良いんだ……」
「諦めろ、人間。貴様等が神に勝つ道理などない。大人しくしているなら、一飲みにしてやるぞ」
「……諦める、だって?」
 その言葉を聞いて、真は喉を鳴らす。
 諦めるなんて事が出来るか。真は諦めを蹴飛ばして、重たい業を背負い、このボルテクス界を作り出したのだ。今更諦めるなんて事が出来るか。
 最後まで、最後の最後まで、足掻いて足掻いて、死んでも諦めるなんて事はしない。
「ボクは、絶対に諦めない!!」
 真の反骨心に火が灯った時、それに応えるかのように、その手に持つ剣の炎も猛る。
 元の鉄の刃だった頃とは比べ物にならないほどのリーチ。それほど強く、その剣は燃えあがっていた。
『我が主よ、我が名を呼べ』
「……だれ?」
『我は汝の守護にして、創造と破壊の二面を持つ神。我が名は輝く炎。我が名を呼べ』
「……輝く炎。君の、名前……」
 真に語り掛けてくるのは、剣。いや、炎その物。
 その声を聞いた途端、真の頭の中にあった開かずの引き出しから、一つ言葉が零れ落ちる。
『我が名を呼べ。我が名は――』
「ヒノカグツチ!!」
 真が剣を高く掲げてその名を口にした瞬間、洞窟の天井を穿ち、一つの閃光が降ってくる。
 何か輝く柱のような物だったが、それは真を直撃した。
「ま、真ちゃん!!」
 それを見て雪歩が泣きそうな悲鳴を上げる。
 しかし、閃光が収まった後、そこには確かに真がいた。どうやら無事な様である。
「これが、この剣の本当の力……。神殺しの剣、ヒノカグツチ」
「ぐぅ、この光……大量のマガツヒを感じる……っ!! 厄介な、やはりここで食い殺しておくか!!」
 セトが猛々しく吼える。それと共に恐ろしいまでの風が吹き荒れるが、目の前にいた真は少しも動じなかった。
「ボクはもう、誰にも負ける気がしない。すぐに片をつけるよ!!」
「人の身に余る言い草よ! 驕るなよ、小僧が!!」
「……ッ!! ボクは――」
 剣の炎がゴォと音を立てて、また一回り大きく燃えあがる。
 それが、巨大な翼竜の姿をしているセトを飲み込むほどの大きさになると、
「――女の子だッ!!」
 真は気合いと共に、それを打ち下ろした。
 剣はセトを頭の天辺から焼き切り、完全に両断する。
 断面からは大量のマガツヒが溢れ、それは真へと吸いこまれていった。
「ぐあ……あぁ……敗れると言うのか……神が、人間如きに……」
「言ったでしょう」
 崩れ逝くセトに、ホルスが返す。
「真さんはそれだけの器があるんです」
「ぐ……おぉ……」
 何の反論も出来ず、セトはそのままマガツヒの塊になって消えた。
 それを全部回収した真は、なんだか気味悪げにその様子を見ていた。
「こ、これって……」
「マガツヒです。心配ないですよ。利にはなっても害にはならないはずですから」
「な、なら良いけど……」
 赤黒い何かが自分の中に入っていく光景は、やはり見ていて気分の良い物ではなかった。


「ったく、酷い目にあったわ!」
 戦闘が終わった後、イオリが一行に合流していた。
「吹っ飛ばされて、壁にぶつかって気絶するわ、道に迷ってどっち行って良いかわかんなくなるわ、ゴロツキ悪魔には追いかけられるわ、散々だったわよ」
「そりゃ大変だったね」
「……まぁ、アンタ達よりは十分マシだったんだろうけどね。手伝えなくて悪かったわね」
 イオリはイオリなりに大変だった様だが、それでも真達を気遣ってくれた。
 いつもはケンカ調子のクセに、偶にしおらしくなる。そこがなんともおかしくて、真は笑って彼女の頭を撫でた。
「ううん、ありがとう、イオリ」
「ちょ、何すんのよ! 髪が乱れるでしょ!!」
 真の手をバシバシ払いながら、イオリは赤い顔をごまかした。
「じゃれるのは構いませんけど、ちょっと良いですか?」
「なに、ホルス?」
「向こうにまだ穴があったんですよ。入ってきたのとは真逆の方向なので、ちょっと気になったんですけど……」
 ホルスが指す先、確かに穴が開いていた。
 先ほどの先頭で偶然出来た、とも考え難いだろうか。穴はかなり奥まで続いているらしい。
 それに、どうやらまだ風が吹いている。
「……向こうに出口があるのかな?」
「どうするの? 行ってみる?」
「あ、危ない事はやめようよ。一度戻った方が良いよ」
 尻込みする雪歩。だが、興味が引かれるのも事実だ。
 風が通っている、と言う事は外に通じていると言う事。春香達と同じ道を行くよりは、別の出口を目指した方が有意義かもしれない。
「……行ってみよう。大丈夫、雪歩はちゃんと守るからさ」
「真ちゃん……」
 真に微笑みかけられ、雪歩はそれ以上何も言えなくなっていた。
 一行は奥の穴を進む事にした。


 穴の手前で、殿を任されていたホルスが一度、部屋を振りかえる。
「お父さん、仇は討ちましたよ」
 セトのいなくなったその部屋は、とても静かで、ホルスの小声はしかし、よく響く様だった。その声が今はこの世にいない父に届いたかどうかは知る術もない。

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真・菊地探偵事務所 三章 2

2 分かつ道

「安全な場所って言ったって、ボクが歩いてきた限り、バンナムの中は悪魔だらけだったよ」
 地下廊下を歩きながら、真はそんな風にぼやいた。
 ホルスに会うまで、廊下を半ば闇雲と言って言いぐらいに歩き回っていたのだ。彼女の言には実感がこもっていた。
 だが、そんな真にホルスがさえずる。
「聞いたところによると、ターミナルって言う機械の近くには悪魔が寄り付かないらしいですよ? なんでも、あの機械に近付くとアマラ経絡に引き込まれるかも、なんですって」
「アマラ経絡? ……良くわかんないけど、悪魔が近付けないって言うなら、イオリやミキもダメなんじゃない?」
 ターミナルがある場所自体はわかる。真が倒れていた部屋にあった円柱型の装置がそれだ。だが、悪魔が近付けないなら、今、一行の中にいる悪魔達も同様の影響を受けるのではなかろうか?
「いえ、サマナーに使役されている悪魔は大丈夫みたいです。詳しい事を言うと多分、頭がこんがらがるので端折りますけど」
「……うん、ならホルスを信じよう。ターミナルの部屋だったね」
 真は一つ頷き、廊下を先だって歩き始めた。


 廊下を歩いている途中、雪歩が春香に近寄る。
「あの、春香ちゃん」
「……ん? なに?」
「大丈夫? なんか、さっきから黙ってるけど……」
「ああ、平気よ。単に考え事してるだけ。気にしないで」
 雪歩に心配され、春香はそれに笑って答えた。
 彼女の心中は、今、二つの事に支配されている。
 一つは見当たらない千早の事。もう一つはあのネコマタとの戦闘での事だ。
 届かなかった拳。アレにどう言うトリックが使われているかはわからないが、このままではあのネコマタには勝てない。それだけで済めばいいが、ネコマタより強い悪魔がいたりしたら、その悪魔にも勝てないのだ。
 これは、春香にとって早急に解決すべき案件であった。
「どうしたものかしらね……」
 呟きながら、ずんずん先を行く真について行った。

*****

 何度か襲いかかってきた悪魔を退けつつ、一行はターミナルの部屋までやって来た。
「イオリ達は、もうマグネタイトは必要ないみたいだね?」
「ええ、どうやらそうみたいね。ここが魔界に近いからじゃないかしら? 向こうじゃ普通に過ごしてたわけだし、ここもそう言う場所なのかもね?」
 今までマグネタイトを消費して物質化していたイオリとミキ。だが、受胎が起きてからこっち、マグネタイトバッテリー内のマグネタイトが減っていない。
 これはやはり、顕現や維持にマグネタイトを使ってないからなのだろう。
「ありがたい事じゃない。こうなりゃ、私だって好き勝手出来るわ」
「……って言っても、イオリはそれほど強くないだろ?」
「言ってくれるわね……。でもそんな事言ってられるのも今の内よ。見てなさい、私には取っておきの秘策があるんだから、にひひ」
 企み顔で笑うイオリ。その手には大きな袋が握られていた。
 イオリの身体とほぼ同等の大きさのある袋を担ぐのは、少しつらそうだった。
「僕が持とうか?」
「必要ないわよ! くすねられたら困るし」
「そんな事しないよ! なんで仲魔の持ち物を盗まないとならないのさ!?」
「人間ってのはこう言うのに弱い、って聞くしね。それに女ならなおさら。絶対に渡せないわ。これは私の、起死回生の一手なんだから」
 どうやら絶対死守を貫こうとしているらしいイオリ。親切心から手伝いを申し出た真も、バカらしくなってその手を引いた。
「さて、ホルス。話を聞かせて欲しいんだけど……」
「あ、待ってください……何か来ます」
 ホルスが話し始めようとした時、部屋の外に何かの気配があった。
 ターミナルに悪魔は近寄れない、と言う話だったが、だとすればこの気配は……。
 最大限に警戒する一行の注目の中、ドアが開いた。
「あー、やっと見つけた! 久しぶりね、真、春香」
「り、律子!?」
 やって来たのは春香の相棒、律子だった。
「なんでこんな所に!?」
「なんで、って事はないでしょ。折角アンタ達を追っかけてきたのに」
「でも、そんな危険な……」
 律子を見ると、その手に一振りの剣を持っていた。
 自衛用の剣だろうが、それにしても一人で悪魔がごった返す中を歩くのは危険だ。
「大丈夫よ、これでも腕に自信はあるんだから。それより……アンタ達、外がどうなってるかもう見た?」
「外? 春香ちゃんが見たって……」
「ええ、見たわ。なんなの、あれ?」
「他は誰も見てないか……だったら信じがたいかもね。でも、これから言う事は一応真実よ」
 その場にいた全員の顔を見回し、律子は一呼吸置いて口を開く。
「この世界は太陽……いえ、カグツチを中心に閉塞したわ。次の世界へと生まれ変わる為の姿、ボルテクス界になったの」
「ボルテクス界……?」
 疑問の声を上げたのは雪歩だった。
「なんなんですか、それ」
「平たく言うと、地面がめくれ上がって、天井でくっついたのよ。地球は元々丸かったけど、それが逆に丸くなっちゃったって事。……いや、逆にわかり難いか」
 説明を聞きつつ、首を傾げ始める雪歩を前に、律子はどう説明して良い物やら考えていた。なんにしても常識外の事が起こったのだ。説明するのは少し骨が折れる。
「雪歩もきっと見ればわかるわ。百聞は一見にしかず、ってね」
「はぁ……」
「まぁ、それは置いといて、受胎が起きたって事は、真は社長を止めるのに失敗した、って事で良いのかしら?」
「……いや、これはボクが起こした事だ」
「ま、真ちゃん!?」
 真の返答に、雪歩は驚いて尋ね返した。イオリもその言葉に多少動揺している。
「アンタ、まさかあの高木ってヤツに言いくるめられたわけ!?」
「違うよ。ボクはボクの意思でこの受胎を起こした。説明は……確証が取れてないから今は無理だけど」
「確証が取れてないって……それでも受胎を起こしたっての!? あっきれた。じゃあ、今まで私達は何の為に動いてたの?」
「その事については謝るよ。でも、ボクには何を排してでもやらなきゃならない事があったんだ」
 あのまま全ての悪魔を魔界へ押し戻していたら、雪歩も魔界へと追いやられていたかもしれない。真はそれを避けたかったのだ。
 だが、それは『かもしれない』と言うだけだった。もしかしたら雪歩は悪魔化しておらず、魔界へ行く事もなかったかもしれない。
 しかし、逆を言えばもしかしたら魔界へと行ったかもしれない。
 そんな危ない橋を渡るのは無理だったのだ。
「起こった事をとやかく言ってもなんにもならないわ。今は、これからどうするかを話すべきじゃない?」
「……それもそうね。私は一応、真の使役悪魔なワケだし、別にどうこう言うわけでもないけど」
「ミキは全然構わないの」
「……アンタはおきらくで良いわね」
「デコちゃんは色々考え過ぎなの。若ハゲになるよ」
「こんの……ッ!!」
 殺伐とした追いかけっこを始める二人を放って、律子は咳払いをする。
「で、これからの事だけど、私は一度、この世界を回ってくる事を勧めるわ。今、この世界で何が起こってるか、色々わかってないと、指標にはならないだろうし」
「私もそれに賛成です。今の真さんはあんまり覚えてないみたいですし、まずは認識を広くするべきですね」
 律子とホルスの意見が一致する。
 確かに、今『変化した世界』をしっかり認識していない真と雪歩。ならば、これからどうするべきか、なんて容易に答えは出せないだろう。
 ならば情報を集め、自らがどう動くべきかを見極める必要がある。
「ボクはそれで構わないよ。高木社長がどこにいるかもわからないし、彼がまだ何か良からぬ事を考えているなら止めないと」
「高木社長……ですか」
「どうしたの、ホルス?」
「あ、いえ」
 言葉を濁すホルス。どうやら言いたくない事らしい。
「雪歩ちゃんはどうなんですか?」
「え? わ、私は真ちゃんについて行くだけですから……」
「じゃあ決まりね。移動方法は……」
「あ、ちょっと待ってください」「ちょっと待って」
 ホルスと春香が同時に待ったをかけた。
 それに気付いたホルスは春香の様子をうかがったが、春香の方はホルスなんかお構いなしで口を開く。
「私は、行きたい場所があるの」
「行きたい場所? どこ? 急ぐの?」
「真には申し訳ないけど、ここからは私は一人で行かせてもらうわ。貴女と結んだ契約も、どうやら薄れてるみたいだしね」
「そうなの? ボクは良くわからないけど……」
「……じゃあ、これは私に限った事なのかしらね? どっちにしろ、好都合よ。私は一人で行くわ。もう真に頼らなくても身体の自由は利くし、千早ちゃんを探さないと」
「そう言えば、千早はどこに行ったの?」
「それがわからないから探しに行くのよ。どこかで情報を得られたら、私に教えてくれると嬉しいわね」
 つまり、二手に分かれると言う事だ。
 受胎が起きる前から、春香はワンマンプレーでも成り立っていた。あまり心配する事もないだろうか。だとすれば、二手に分かれるのは有効な手だ。
 情報は広く集めた方が良いのは当然の道理である。
「じゃあ私も春香と真とは別行動をとるわね。情報屋の名にかけて、有益な情報をドッサリ持って来てやるから、期待しておきなさい」
「律子は一人で大丈夫なの?」
「大丈夫よ。前にも言ったでしょ? 春香とつるむ前はフリーのデビルバスターしてたのよ」
「で、デビルバスター?」
 どうやら春香には話していたようだが、真にとっては初耳だ。それに、なんとも胡散臭い職業名が出てきた。語感からするに、退魔士だろうか。
 懐疑の視線を向けられ、律子は慌てて説明する。
「町がこんな風になる前にも、ちょこちょこっと悪魔が現界に現れる事はあったのよ。だからそう言うはぐれを狩って、生計を立ててたわけ」
「それで食いっぱぐれなかったんだ……」
「結構実入りは良かったのよ。って、そんな話じゃなくて。春香の話は終わったとして、ホルスの話は?」
 律子に話を振られ、ホルスは一度翼をはためかせた。
「真さんに折り入って頼みがあるんですよ」
「頼み?」
「このバンナムの地下に、セトと言う強大な悪神がいるんです。ソイツを、私と一緒に倒して欲しいんです。悔しいですけど、今の私じゃセトを倒すに至らなくて……」
「……うん、良いよ。ホルスにはまだ聞きたいこともあるしね。この世界の事とか」
「ホントですか!? じゃあ、今後ともよろしくって事で!」
 と言うわけで、ホルスの頼みを聞いて、真達は春香と律子と別れ、セトという神の元へ行く事になった。

*****

 その頃、変わり果てた町の中を、千早は一人で歩いていた。
 元々はHRインフォメーションがあった地域。そこはやはり悪魔達がうろついており、ガラスが割れていたり、コンクリが抉れていたり、ビルの壁が崩れ落ちていたりと、さながらゴーストタウンの様だった。
 だが、町が静かなわけもなく、そこかしこから千早に向けて、悪魔からの殺気が飛んで来ていた。
「……私は……」
 千早は手に持っていたペルソナカードに視線を落とし、呟く。
「私には力が足りない。まだ……春香に勝てない」
 バンナムでの一戦で思い知った。春香とは格が違う。
 ペルソナと言う強大な力を得た千早でさえ、春香には敵わない。……だが、諦めるわけにもいかない。弟の仇はまだ討っていないのだ。
「力をつけないと……。このペルソナよりも、もっと強い、もっと強い……」
「見違えたなぁ、おい」
 そんな千早の目の前に、一匹の悪魔が踊り出た。
 深い緑の具足、金の矛。風格が物語る彼の素性、武士。
「……誰? 何か用?」
「はっ、誰と来たか。……まぁしゃーないわな、あの爺さんの話じゃ、覚えてる方がおかしいらしいからな」
「何の話をしてるの? ……用がないなら消えて」
「用ならあるさ」
 悪魔は担いでいた矛の先を千早に向け、鋭く睨む。
 千早の肌がピリピリ痛むほどの殺気。否応にも全身の神経が研ぎ澄まされる。
「勘は悪くねぇみたいだな。だったらわかるな? 俺の言いたい事は」
「私と戦うって言うの? 雑魚悪魔に遅れを取るほど、私は弱くはないわよ」
 春香には負けても、それぐらいの自負はある。
 実際、今の所春香以外には負けなしだ。驕りや自惚れではなく、これはれっきとした事実を元にした自信。
 だが……。
「なら、試してみようか?」
 悪魔の突撃を、一瞬見逃した。
 瞬速で繰り出される突き。一点突破力は計り知れない。
 凄まじい一撃を、千早は回避出来ず、両手の平で受け止める。
「……くっ!」
「ほぅ、受け止めたか」
「なんなの、貴方!」
 受け止めた千早の両手には、特に傷が見られるでもない。ペルソナによる体力強化の恩恵だろう。
 しかし、貫かれるかと思うほどの衝撃は受けた。これは、普通のゴロツキ悪魔のレベルではない。
「ちょっとワケありでな」
「ちょっとって……気に入らないわ!」
 矛を弾き飛ばした千早は、悪魔から距離を取ってペルソナカードを構える。
「シヴァ! アイツを倒すわよ!!」
 千早の背後に、青い肌の魔神が現れる。
 それを見て軽く口笛を吹いた悪魔。どうやらシヴァの姿を見てもまだ余裕らしい。
「空元気ってヤツかしら? どこまで虚勢を張りつづけられるか、見物ね」
「お前こそ、いつまでその仮面を被ってるのか、見物だな」
「何をわかった風な事を!!」
 千早が叫ぶと共にシヴァが三叉の戟を、悪魔に向かって振り下ろす。
 だが、悪魔はそれを容易く躱し、千早に向かって距離を詰める。
「くっ、ザンダイン!!」
「甘ぇ!!」
 千早の手から飛び出した衝撃波を、悪魔は気合いと共に打ち消す。
「……春香と同じ……ッ!? それほどの力を持ってるというの!?」
「ボサっとすんなよ!」
 至近距離から、またも突撃。
 先程よりも確かな殺傷力を増したその矛先は、千早の頭を捉えようと迫る。
 しかし、それよりも速く、矛先と千早の頭の間にシヴァの戟が入る。悪魔の矛は戟に弾かれた。
「この悪魔……危ない……ッ! 油断してると、やられるッ!!」
 気を引き締めた千早は、シヴァを操り、戟を使って悪魔を弾きあげる。
 宙を舞った悪魔は身動きが取れないようだった。
「もう一度、ザンダイン!!」
 再び衝撃波を発生させた千早。
 悪魔はそれを受けて、近くのビルへ衝突する。
 ビルを半壊させるほどの威力。直撃したなら、あの悪魔もタダでは済まないはずだが、それでも油断は出来ない。
 認識を新たにしなくては。あの悪魔は決して『雑魚』ではない。
「でも……アレだけの一撃ならきっと……」
「甘いって言ってるだろ!!」
 まだ晴れぬ土埃の中から、悪魔が矢弓の様に弾け飛んで来る。
 一直線すぎるその突撃を、千早は難なく躱し、距離を取る。
 悪魔が着弾したそこは、地面を大きく削り、ちょっとしたクレーターの様になっていた。
「甘いのはどっちよ。さっきから単調な突撃ばかり。私をなめているの?」
「そんなつもりはねぇよ。本当のお前にゃ、ちっとばかし尊敬すらしてるんだぜ」
「本当の……私?」
「そうだよ。そんなゴツい仮面をつけたお前じゃなく、本当のお前だ」
「何をワケのわからない事を……」
「じゃあお前、あの女はどうした? ハルカっつったか?」
「ッ!? 春香を知ってるの!?」
 驚きだった。まさか春香を知っている悪魔がいるとは。
 先程から謎の発言ばかりするあの悪魔だが、またより一層謎が深まった。
「貴方、本当に何者なの? 誰かに命令されて、私を狙ってるの?」
「俺ぁ別に、誰に命令されてるわけでもねぇ。誰の物でもねぇ。俺は俺の意思で、お前の前に立ち塞がってるんだ」
「だから、何の目的でッ!?」
「今のお前にゃ、話す事はねぇ。顔洗って出なおして来い!」
「……もう良いわ、悪魔なんかの言葉に耳を貸した私がバカだった!」
 千早はカードを構え、魔法を操る。
 瞬間、悪魔の目の前で火花が弾ける。
「消し飛べ!! メギドラオンッ!!」
 走る閃光、そして爆音。
 広大な範囲を飲みこむ爆発が起き、一面を焼け野原にする。
 ビルはほとんど崩れ落ち、地面は砕け、全てを飲みこむ爆炎は辺りにいた悪魔すら飲みこんだ。
「はぁ、はぁ……これなら……」
 煙が立ちこめる中、辺りを窺ってみるが、悪魔の気配は……。
「三度目だ。甘ぇ!!」
「くっ!!」
 煙の中からでも正確な突き。
 千早はそれを紙一重で避けるが、悪魔の攻撃はやまない。
 矛先を引かれ、代わりに石突が下方から飛んで来る。
 退いて躱そうとすると、足元に落ちていた瓦礫に足を取られた。
「きゃ!」
 完全にバランスを崩した千早。その腹部に、石突が深く埋まる。
 まともに受身も取れぬまま、背中を強か打ちつけた千早は、静かに目を閉じた。
「……死んだワケじゃないだろうな。そんなにヤワだとは思ってねーぞ」
 動かなくなった千早を見て、悪魔は自分の兜を軽く叩いた。
 軽く脈を診たり、呼吸の確認をしてみたりすると、確かに生きている。
「一安心だな。……にしても、これがホントに千早かよ。俄かに信じられねぇな」
 そんな事を呟きながら、悪魔は千早を担ぎ、その場を後にした。

*****

 千早のメギドラオンの範囲外だった場所には、まだ幾つかビルが残っていたし、地下の町も無事な場所が残っていた。
 千早は知らない事だがHRインフォメーションの事務所も無事で、その辺りの地下街もほぼ完全に残っていた。
 その近辺に一つ、元々はブティックがあった場所に、別の施設が出来あがっていた。
「……ん」
「目が覚めましたか」
 静かな水音に目を覚ました千早。目の前には不思議な雰囲気の女性が座っていた。
「あ、貴女は……!?」
「ご安心なさい、私は敵ではありません。私は全ての中立なる者、この泉の管理者。我が泉は全ての者に癒しを与える物です」
「よくわからないけど……貴女が助けてくれたの?」
「貴女の傷を癒したのは私ですが、貴女をここまで運んだのは悪魔です」
「悪魔……まさか、武士みたいな感じの、長い矛を持った?」
「ええ、確か、そのような外見をしておりました」
 間違いない。千早に襲いかかってきたあの悪魔だった。
 だが、襲いかかってきたのに千早を助ける、とはどういう事だろうか?
 真意は読めないが、とりあえず次に会ってもあまり友好的な態度は取れそうにない。
「代価も彼の悪魔から頂きました。目が覚めたのならすぐに旅立つとよろしいでしょう」
「……旅立つって言ったって……」
 特に行き先など決めてはいない。ただ、力を求めるならここで燻っているよりはマシだが。
「力……今よりもっと強い力を見つけないと。あの悪魔にも、春香にも、誰にも負けないような力を……」
「では行きなさい。決してこちらを振り返ってはいけませんよ」
 女性に見送られ、千早は泉を後にした。


 電気の通っていない地下街は流石に暗いだろう、と思ったのだが、案外と明るかった。
 何故か電灯が灯っているのである。まさかとは思うが、どこかに発電施設があるのだろうか?
「そんな事より、ベルベットルーム……あそこへ行かないと」
 より強いペルソナを得るにはあそこが必要だ。
 千早の強さはペルソナに因る。だとすればベルベットルームで強いペルソナを手に入れるのが増強に繋がるのだ。
 だが、シヴァはかなり高位のペルソナ。これ以上を求めるとなると難しいかもしれない。
 それでも行かなくては。今のままではあの悪魔にも、春香にも勝てない。
「契約者の鍵、これがあるなら、ベルベットルームもどこかにあるはず」
 千早はポケットの中にある鍵を確かめ、地下街へと消えた。

テーマ : 二次創作 - ジャンル : 小説・文学

真・菊地探偵事務所 三章 1

三章 ノクターン

1 新たな出会い

 もう無くさないと決めた。
 もう取りこぼさないと決めた。
 誰一人欠けさせてたまるか。
 この両腕で抱えこめるだけ抱えこんで、全部取り戻してやる。
 この両腕で世界を、仲間を、全てを。
 一度犯した失敗を繰り返したりしない。
 この夢は、きっとその為にあるモノだから。

*****

 真が目覚めると、そこはバンナムの地下にある、大きな部屋だった。
 頭がガンガンと痛む。気分が悪い。
 ボンヤリした視界をゴシゴシこすり、真っ暗な中で目を凝らして辺りを見る。
 どうやらここにいるのは真だけらしい。
「雪歩たちを……探さないと」
 手元にあった剣を拾い、出口へ向かって歩き出した。

 廊下に出ると、足元に非常灯が灯っており、難なく進めそうだった。
 頭痛も気分の悪さも大分良くなってきており、真は軽く屈伸した後、廊下を駆け出した。
 恐らく、受胎は起きたのだろう。何故だかわからないが、それはボンヤリと理解する。
 この空気を前に一度、どこかで感じた事がある気がするのだ。
 これが多分、受胎後の世界、ボルテクス界の雰囲気。
 そして受胎が起きたのならば、どこにいても悪魔はいる。
 身体を維持するのにマグネタイトを必要とせず、今は願いを叶える為の力、マガツヒを集めるのに躍起になっているはずだ。
 そしてマガツヒとは人間やその魂に近い思念体、人間の形を真似て作られたマネカタなどしか生産する事が出来ない。
 となれば……
「雪歩達が危ないかもしれない……っ!」
 一緒にバンナムに入ってきた雪歩達。すぐに探さなければ悪魔に襲われるかもしれない。真の近くに高木がいなかったのも気になるし、もしかしたら彼が悪魔を操って、また何か良からぬ事をやろうとしているかもしれない。
 いや、そうでなくても……
「なんだ……? 思い出せないけど、何か引っ掛かる……」
 引っ張り出せない記憶の引き出しがあるようだった。
 その中には色んな重要事項が詰まっているはずなのだが、思う様に開ける事が出来ないでいる。ただ、なんとなく雪歩とイオリとミキ、その三人を目の届く場所においてなければならない様に思えて、気が急いた。
 様々な問題は追い追い解決する事にする。今は雪歩たちを探さなければ。

*****

「雪歩、起きなさい」
「ん、んぅ……真ちゃん?」
「生憎、白馬の王子様ではないわ」
 廊下で気を失っていた雪歩が目を開けると、目の前には春香がいた。
 場所は地下への階段を下ってすぐの場所。これから真を探そうとした矢先に受胎が起きたのだ。
「ここは……確かバンナムですよね?」
「そうみたいね。でも、どうやら受胎ってのが起きてしまったらしいわ。外は随分様変わりしていたもの」
「春香ちゃん、外を見たの?」
「ええ、見たらみんな驚くわよ。……それよりも、貴女と一緒にいたヤツらは?」
 周りを見回しても、イオリ、ミキ、あずさ、やよいの誰もいなかった。
 ここにいるのは春香と雪歩だけ。
「私が気を失うまではすぐ近くにいたんだけど……」
「行方不明って事かしらね。千早ちゃんと同じか、面倒臭い……。とりあえず、みんなを探しに行きましょう。立てる?」
「う、うん」
 春香が差し出した手を掴み、雪歩は立ちあがる。
 非常灯が灯る地下の廊下はシンと静まり返り、不気味な事この上なかった。
「真ちゃん、どこにいるんだろう?」
「大体の場所はわかるわ。バンナムの中に大きな気配がいくつかするもの」
「幾つかって……」
「一つは真だろうけど、他のは恐らく悪魔かその類でしょうね。気を引き締めなさい」
「わ、わかった」
 怯えながらも力強く頷く雪歩を見て、春香は満足そうに笑みを浮かべ、暗い廊下を先だって歩いていった。

*****

 暗い中を手探りで歩く真。
 転送装置で飛ばされた為、ここがどの辺りなのか全く把握できない。どっちが出口で、どっちが行き止まりなのか、皆目見当もつかなかった。
「案内板とか、ないのかな……」
 突き当たりにぶつかっても、それらしき看板はない。
 どうやら電光掲示板を利用して位置案内をしていたらしいバンナム社内。電力が完璧に止まっている今、アナウンスは一つとして表示されない。
「困ったな……このままじゃどっちに行って良いか……って、あれ?」
 廊下の奥に、フラフラと浮かぶ光を見つけた。
 どう見ても自然光ではないし、誰かが懐中電灯を持っているような感じでもない。
 詰まり、悪魔。
 真はすぐに身構え、剣の柄に手を添える。
「あ、あれ? 真さんじゃないですか」
「え!?」
 だが、驚いた事に、向こうから声を掛けられてしまった。それも結構親しげに。
 羽ばたく音をさせながら、真に近付いてきたのは小さな鳥だった。
 鳥はそれ自体が発光している様で、さっき見えた光はこの鳥のものだったようだ。
「……君は? どうしてボクを知ってるの?」
「またまたぁ、冗談キツイですよ! 私の事を忘れたなんて……」
 しばし、イヤな沈黙。
 鳥が焦る様に羽ばたきを強くする。
「ほ、ホルスですよ! ホルス! ホントに忘れちゃったんですか!?」
「って言うか、初対面だよね?」
「しょ、ショックです……。まさか出会い頭にこんな仕打ちが待ち受けているなんて……」
「えと……人違いとかじゃなくて?」
「当然です! 貴女の顔を見間違えるなんて、ありえませんよ!」
 どうやら本当に真の事を知っているらしいこの鳥、もといホルス。
 だが、真の方には見覚えどころか、悪魔の知り合いなんて今の所片手で数えられるほどしかいないし、その中に当然、ホルスなんて鳥は含まれていない。
 全くの初対面であるはずだ。……だが。
「おかしいな。そう言われてみると、確かに昔一度、会った覚えがあるような……」
「会ったどころか! 一緒にボルテクス界を練り歩いた仲じゃないですか! 忘れるなんて、ぶっちゃけありえないですよ!!」
「なんだかこの感じも懐かしい気すらするね。……でもどうしても思い出せないんだ。それに、ボルテクス界を……練り歩いた?」
 ボルテクス界は受胎によって作られる、新たな世界の前身。
 ホルスはそこを一度、真と一緒に歩いた様に喋っている。
 だが、そんなに何度もボルテクス界が創られるような事があったような記憶はないし、それほど頻発して欲しい物でもない。もちろん、真がボルテクス界に来たのはこれが初めてのはずだ。
 ……だが、この既視感。ボルテクス界に入ってからの違和感。開かない記憶の引き出し。
 それら全てを考えると、ホルスの言っている事を一笑にも伏し難い。
「君が言っているのが本当なら、ボルテクス界は前に一度、出来てたって事?」
「えーと……前に一度って言うか、別の世界で一度って言うか。……あ、そうですよね。それなら真さんが覚えてないのも仕方ないか」
「わかるように説明してくれる?」
「話せば長くなるんですけど……」
「ダメなの!!」
 ホルスが長い講釈を垂れ様としたところに、何かがジャンプキックをかました。
 ホルスはその蹴りをまともに受け、地面を転がった。
「ピヨォ!!」
「ピヨちゃん、何考えてるの!? 全部話したら、ミキ達消されちゃうの!!」
「ミキ!? 無事だったのか!?」
 真の前に現れたのはミキだった。そしてホルスに蹴りをかましたのも無論。
「真くん、今のは全部忘れた方が身のためなの」
「え、でも……」
「いーから! 忘れるの!!」
「わ、わかったよ」
 全然怖くない顔で凄まれ、真は一応頷いておく事にした。
 話を聞く機会ならまたあるだろう。
「いたた……ミキちゃん、再会の挨拶にしては乱暴すぎません?」
「ピヨちゃんが要らない事しようとするからなの!」
「はいはい、どうせ私はお節介ですよ……」
「ミキとホルスも知り合いなの? 仲良さげだけど」
「ミキとピヨちゃんは、一応仲魔なの。それ以上詳しくは言えないの」
「……うん、だったらそれ以上は訊かないよ」
 訊けば、ミキの飛び蹴りを食らいそうだ。
「それよりミキ、雪歩は一緒じゃなかったの?」
「雪歩は……ええと……置いてきちゃったの」
「置いてきた!?」
 衝撃のカミングアウトに、真はミキを殴りそうになった。が、すんでの所で止めた。
「じゃあ雪歩のところに案内してくれ」
「えっと……ミキはホルスの気配を辿って来たの。どうやって来たかは……」
「忘れたって言うんでしょ。ホントアホね、アンタは」
 そこにもう一人、現れたのはイオリだった。
「イオリ! その口振りからすると、期待しても良いのかな?」
「任せておきなさい。このバカ雪だるまが突然走り出したから何事かと思ってつい追いかけちゃったけど、ここまでの道順はしっかり覚えてるわ。でもまぁ、あの娘なら多少放っておいても大丈夫そうだけどね」
「雪歩を放っておくなんてとんでもない。すぐに案内してくれ」
 イオリを先頭に置き、一行は雪歩の元へと向かう事にした。
「ホルスもついてくるのか?」
「ええ、一応。真さんに頼みたい事もありますし」

*****

「は、春香ちゃんって、光るんだね」
「……私の意思とは反してるんだけどね」
 暗い中を歩いていると、春香の刺青の縁が淡く光っている。
 それと非常灯の明かりを合わせて、二人は多少良好な視界を得ていた。
「何か、身体の異常とかないの? 痛かったり、痒かったり……」
「今の所問題はないわね。ただ、身に余るほどの力は感じるわ。悪魔の力ってやつね、きっと」
「それはこう……左の二の腕が熱くなるような?」
「……そんなピンポイントな感じではないけど……」
 雪歩の言葉に首を傾げながら、二人は先に進む。
 ……と、前方に人影が見えた。
「ま、真ちゃん!?」
「いえ、待ちなさい、雪歩」
 駆け出そうとする雪歩を制し、春香が一歩前に出る。
「そこにいるのは、誰かしら?」
「……これは僥倖、と言うヤツですね。こんな所で人修羅と出くわすとは」
「隣のヤツもなんだか不思議な感じだな。ただの悪魔じゃないね!」
 光の届く範囲に、人影が入る。
 その姿はどう見ても真ではなかった。
「だ、誰!?」
「私の名は葛葉シジョウ。貴女達悪魔を狩る、デビルサマナーです」
「自分はネコマタのヒビキ! よろしくね!」
 黒い外套を羽織り、豊かな銀髪をなびかせた女性、葛葉シジョウと、ネコマタという悪魔らしいヒビキ。
 雪歩達を狩る、と言っている時点で既に友好的ではない。敵意が感じられる。
「私達とやるつもり?」
「貴女が人修羅であるなら、それもやむを得ないでしょう。人の世を脅かす悪魔の中でも特に危険とされる種族。貴女が堕ちたる天使に協力しない、と言う確証はありませんから」
「……堕ちたる天使? 誰の事?」
「死にゆく悪魔に、多く語る言葉は持ち合わせておりません。大人しく討たれなさい、妖魔の類め」
 シジョウは流れるような手付きで、腰に帯びていた剣を抜き、素早く春香との距離を詰める。
「だ、ダメです!!」
 だが、春香の前に出てきた雪歩にそれを阻まれた。
「……私の剣を止めましたか。なるほど、チューナーとはこれほどの力を……」
「こ、これって……」
 驚いたのはシジョウだけではなく、雪歩自身もだった。
 左腕が異形のそれへと変化していた。具体的に言うならば、皮膚が赤くなり、異常なまでに肥大化している。
「チューニングには慣れていないようですね……。ヒビキ、貴女に人修羅を任せます。私はこちらのチューナーを」
「わかった!」
 敵二人が戦闘体勢に入るのを見て、雪歩と春香も身構える。
「狭い廊下じゃ魔法を使うのはヤバイかもね。雪歩、気をつけなさい」
「う、うん。……でも」
 雪歩は腕が変化してから、どうにも拭いきれない違和感を覚えていた。
 今まで使えたはずの魔法が使えないのだ。腕が変化した所為だろうか?
「この腕……うっ、頭が……」
 腕が胎動するたびに、意識が飛びそうになる。
 雪歩はなんとかそれを我慢しながら、シジョウに対した。


 飛びかかってきたヒビキに対し、春香は軽く退く。
 一見、人間のように見えるヒビキだが、中身は完全に悪魔。自らの爪を自在に伸ばし、その鋭い爪で春香に襲いかかる。
 しかし、それは空振り。
 爪は床に突き立つも、すぐに引き抜かれた。
「やるね、自分のひっかきを躱すなんて」
「読めない速さではないわ。まさか……その程度って事はないでしょう?」
「な、なんだと!」
 安い挑発を受け、ヒビキはまたも地面を蹴る。
 だが、真正面から突破するわけではなく、その手に魔力を溜めていた。
「ザンマ!!」
 突き出された手の平から、凄まじい衝撃が放たれる。
 だが、一度千早を圧倒した春香から見れば、それは目晦ましにもならない。
「温いッ!!」
 春香の気合い一喝で掻き消された衝撃。
 周りの埃が舞い、一瞬視界が悪くなるが、相手の気配を探れない事もない。
「捉えた!」
「どうかなッ!?」
 春香は上半身を捻り、次の瞬間に一気に解放する。それに合わせ足を振り切ると、そこから無数の槍が飛び出る。
 それらは全て、ヒビキに襲いかかり、春香は確かな手応えを……
「手応えが、ない!?」
 埃が晴れたすぐ後、ヒビキがまた爪を構えて襲いかかってくる。
 春香は床を転がって回避し、すぐに立ちあがる。
「……マグレって事もあるかしらね」
「マグレかどうか、試してみな!!」
 ヒビキは含み針を噴き出す。
 所詮は針、と見くびった春香はそれを打ち落とした。……が、一本だけその腕に突き立つ。
「かかったね?」
「この程度、どうって事ないわ。見くびられた物ね」
「その油断が、命に関わるよ。覚えておきな!」
 再び魔力を溜め始めたヒビキ。
 だがもう埃は吹き散らしている。春香の不意をつく事は出来ないはずだ。
 ならば今度は威力勝負だろうか?
「食らえ、ザンダイン!!」
 またも放たれる衝撃。しかし先程よりは強い。
 だがそれでも、まだ千早の魔法よりは随分と格下だ。春香に掻き消せないほどではない。
「その程度で……ッ!?」
 だがしかし、突然、春香の身体に痺れが走る。
 一瞬でも隙が出来た春香に、ヒビキの放った衝撃が直撃した。
 春香の身体は宙を舞い、天井に、床に、そして奥の壁に打ちつけられた。
「……ぐっ、これは……!?」
「さっきの針、痺れ針だったんさ! 油断してられるほど、自分は甘い相手じゃないよ」
「小賢しい手を……。アギダイン!!」
 ヒビキに向けて手をかざすと、彼女の周りに幾つか火球が浮かぶ。
 それらが一斉に襲いかかるが、ヒビキは素早くそれを躱した。
 と同時に春香に向かって駆け出す。
「そろそろ仕留めるよ! タルカジャ!」
 駆ける片手間に自分を強化する魔法を唱え、ヒビキは春香に迫る。
「食らえ!!」
「……まだまだ!!」
 ヒビキが爪を振り上げた瞬間、春香の右拳がヒビキの腹部目掛けて突き出される。
 完全に不意打ちを受けたヒビキは、そのカウンターの直撃を受ける。
 そう、タイミング的にはこれ以上ないほど噛み合っている、最高のカウンターだったのだが、ヒビキは口元を持ち上げる。
「甘いさ!」
「なッ……!?」
 春香の拳とヒビキの腹部の間に、何か壁が一枚挟まれたような感覚。
 見える範囲には何もない。ヒビキが何をしたようでもない。
 突然現れた緩衝材が、ヒビキの体を守ったようだった。
 それに驚いた春香は、ヒビキの爪に肩口からザックリ斬られ、傷跡から赤い何かを噴き出させる。
「人修羅のマガツヒ、頂いたよ」
「マガツヒ……?」
「この世界では命の次に大事なもんさ。よぉっく覚えておくと良いよ」
 血のように赤いマガツヒ。自分の爪についたそれを、ヒビキはペロリとなめた。
「っち、趣味悪いわね」
「うっわ、これ美味しい! なぁ、もう少しくれよ!」
「誰が! ……微妙に調子狂うわね……」
 痺れが残る身体でヒビキを睨む春香。
 さっきの『壁』がまだ残っているなら、春香のパンチはヒビキに届かないだろう。
 どうにか勝機を窺っていたその時。

*****

 葛葉シジョウの鋭い剣閃が雪歩に襲いかかる。
 素早く、隙のない一太刀一太刀に、雪歩からは反撃が出来そうもない。
「どうしました、その程度なのですか?」
「うぅ……」
 防戦一方の雪歩。それもそのはず、どうやら左腕以外は生身らしいのだ。
 悪魔化している左腕以外であの剣を受けると、痛いどころの話ではあるまい。
「あまり時間もかけてられません。一気に行きますよ」
「……ッ!」
 シジョウが一度引き、外套をはためかせると、その奥にしまってあったホルスターから銃を抜いた。
 リボルバー式の拳銃。だが、それを受けても雪歩の身体は無事ではいられないだろう。
 銃口が向けられ、すぐに引き金も引かれる。
 乾いた音が廊下に反響する。
 その弾道は雪歩の目に見えていた。悪魔化の副産物だろうか。
 正確に頭を狙われたその銃弾を弾く為に、雪歩は腕を目の前に伸ばす。
 手の平に阻まれた銃弾は跳ねかえり、壁に床にとめり込んだ。
「防げた……!」
「甘すぎる。これがチューナーならば、『人修羅を凌駕するほど』とは過大評価のし過ぎでしょう」
 気が付くと、羽のように軽く跳躍していたシジョウは、雪歩の肩に乗り、剣の切っ先を雪歩の後頭部に向けていた。
 銃弾は目晦ましの布石。本命はこちらだったのだ。
 突然の重圧に、雪歩は床へと倒れこむ。
 それと同時に引き絞られた剣が雪歩の頭目掛けて閃く……だが。
「させるかぁ!!」
「ッ!? なに!?」
 シジョウに向けて迸る炎。廊下の奥から発せられたその炎はシジョウの剣を弾き飛ばした。
 クルクルと回って弾かれた剣は天井に突き立つ。
「……ほ、炎が出たよ!?」
「私の知ってる限り、真さんが持ってる剣はそんな感じでしたけど」
「それが律子の言ってた封印、ってヤツなのかな。今のがこの剣の本当の姿」
 燃え盛る剣を持って現れたのは真一行。
 それを見つけたシジョウは、雪歩を踏みつけてすぐに跳び、天井から剣を引き抜いて真に向かう。
「貴女は……デビルサマナーなのですか?」
 シジョウの放った巻き打ちを受け止めた真。
 その問いには剣を弾いてから答える。
「悪魔を使役する人間をそう呼ぶなら、僕もその範疇なのかもね」
「……葛葉ではない。はぐれか、それとも……良いでしょう」
 そう言ってシジョウは剣を収めた。
「ここは旗色が悪い。一度退きます……が、次に会う時にはそこな人修羅とチューナーは私が討ち取ります。覚えておきなさい。私は葛葉シジョウ。ヤタガラスの命を受け、この国の危機を取り払う者です」
 名乗りに聞き入っていると、シジョウは懐から不思議な玉を取りだし、それを投げつけた。
 瞬間、閃光が走り、その場にいた全員の目をくらます。
 光が消える頃には、シジョウと名乗った女性も、ネコマタもいなくなっていた。

*****

「雪歩! 無事で良かった」
「ま、真ちゃん……」
 真が現れる頃には、既に雪歩の左腕は元に戻っていた。
 ホルスは雪歩に近寄り、左腕を確認する。
「やっぱり、アバタールチューナーになってますね」
「なんですか、それ? 私、どうなっちゃったんですか?」
「今すぐどうこう、ってワケではありませんが、放っておくとマズイですね。詳しい話は後でしましょう。今は移動が先決です」
「そうだね。春香!」
「……ええ、わかってるわ」
 何か苦虫を噛み潰したような顔をしていた春香を呼び、一行はどこか安全な場所を探して歩き始めた。

テーマ : 二次創作 - ジャンル : 小説・文学

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