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真・菊地探偵事務所 一章 1

一章 零

1 プロローグ

 カタカタとキーボードを打つ音が忙しなく聞こえる。
 部屋の中には何に使うのか良くわからないような多くの機械と、壁に描かれた奇妙な紋様、そしてそれらの中心に一人の女性がいた。
「ああ、ダメだわ。何度シミュレートしても上手くいかない……」
 女性はため息と共に、自分の座っているキャスターつきの椅子を転がし、机から離れた。
 凝った肩をぐるぐる回し、その後に目の辺りも軽くマッサージする。
 気が付くと、もう何時間もパソコンの前に座りっぱなしだった。
「こんな事じゃ、一生仕事から離れられないわね」
 自嘲を零すと共に、机に乗っていた資料に手を伸ばす。
 分厚い辞書のような紙の束。その中には多くの魔術文献が書き記されていた。
 出元は葛葉という、退魔の家系だ。
「お父さんが遺したこの資料……。多分これに間違いはないと思うけど……。だったら何がいけないのかしら」
 内容をそらんじられるほどに読み込んだこの資料。
 矛盾はなく、疑う余地は少ない。
 だとすれば、ここ最近の研究が捗らないのは、単に彼女に落ち度があるのだ。
 だがその『落ち度』がどこにあるのかがわからない。
 何度試してみても、シミュレーションはエラーを吐き出すのみ。
「悪魔召喚プログラム、私の手には負えないって言うの?」
 苛立った様に親指の爪を噛み、忌々しげにモニターを見詰める。
 パソコンが返すのは、ただファンの音のみ。
 そんな行き詰まった空気の中に、一人の来訪者がドアを叩いた。
「小鳥さん、良いですか? 差し入れを持ってきました」
「あ、はい。どうぞ」
 来客に対し、小鳥と呼ばれた女性は快く迎える。
 許可を得て部屋に入ってきたのは若い男性。手にはビニール袋を下げていた。
「お疲れ様です、休憩、どうですか?」
「ええ、そろそろ休憩にしたいと思ってた所よ」
 小鳥は笑って男性の提案を受け入れた。

「研究の方はどうです?」
「……さっぱりダメ。デバッグもどこから手をつけて良いのかわからないわ」
 男性の持ってきた軽食を摂りつつ、小鳥は降参を表すかのように手の平を天井に向けた。それを見て、男性も苦笑する。
「らしくないですね、泣き言を言うなんて」
「そりゃ泣き言の一つも言いたくなるわ。ここ数ヶ月、研究が捗らないんですもの。このままじゃきっと、こんな研究辞めてしまえって怒られる」
「……あの人に限ってそんな事はないと思いますけどね」
 また苦笑しながら、男性は返した。
 小鳥も本気で言っているわけではない。ちょっとした冗談だ。
「でも本当に、そろそろ何か形になる結果を出さないとね……」
「悪魔の研究、ですか」
 気落ちした様子の小鳥に、男性は未だに信用しきらないような口調で零す。
「あ、まだ信じてないんでしょ?」
「……まぁ、ぶっちゃけ」
「あぅ、正直に言うなぁ……」
 普通の人間からしてみれば、悪魔なんて言う存在を現界に召喚し、そこから未知のエネルギーを取り出す、なんて鼻で笑ってしまうだろう。
 科学者である男性にとってみれば、その不信感は常人が受けるそれとは比にならないはずだ。
 だが男性の先輩であり、そこそこ頭の切れる研究者である小鳥が、そんな研究に真面目になっているのだ。一笑にはふし難い。
「小鳥さんは、本当に悪魔を召喚できると思ってるんですか?」
「思ってないと、こんな研究、年単位で続けられないわ。裏付けもあるんだもの。悪魔は確実に存在する」
「裏付けって、その資料ですよね?」
 先程、小鳥が眺めていた分厚い資料。
 これには確かに、悪魔の存在が明確に記されている。確か、以前には証拠品と言う悪魔の一部が瓶詰めで送られてきた事もあった。
「信用できるんですか? その葛葉って」
「信用には足りると思うわ。随分昔から退魔業を生業にしていたんですもの。歴史が真実味を与えてくれてる」
「その歴史だってでっち上げって可能性もあるでしょ?」
「疑り深いわねぇ」
「科学は疑う所から始まりますから」
 口の減らない後輩を前に、小鳥はため息を零した。
 彼が信用していない原因も、一端を小鳥が担っているのだ。
 遅々として進まない研究。それは疑うに十分な要素だ。
「それでも、マグネタイトの事は信用してくれるわよね?」
「あの妙な液体の事ですか? そりゃ、実物を見せられれば信用しますよ、流石に」
 以前、小鳥がフラスコの中にいれて持ってきた液体。
 溶媒はあまり変わった物ではないが、溶質は明らかに異常な物だった。
「溶け込んでいるのは液体でも固体でも、気体でもない、精神力の一種でしたっけ? あんな物が本当に存在するなんて……」
「アレだけでも色んな賞を総なめ出来そうでしょ? でもアレを発表しないのは、その奥にある大きい獲物を釣り上げる為なの」
「それが悪魔……?」
「そう。悪魔にはマグネタイトが宿っているわ。……悪魔だけじゃなく、全ての生物にマグネタイトはあるの。とりわけ、感情の振り幅が広い生物は多く持っている。故に、マグネタイトを多く有するのは、悪魔か、若しくは人間」
「悪魔を生物として捉える、っていう所が斬新ですよね」
「茶化さないでよ、真面目に話してるんだから」
 男性の横槍に、小鳥は不貞腐れたような表情を向ける。
 だがそんな顔を見ても、男性のほうは意に介さず、反論を続ける。
「悪魔といえば、色んな神話に記されている神に仇成す存在や、ソロモン王の話に出て来たりするアレみたいなものでしょう? 人知を超越した存在を『生物』で括るのには、なんとなく反感がありますね」
「貴方が考えている悪魔と、私が捉えている悪魔って言うのは大きく違うわ。そりゃ確かにそう言うお話に出てくる悪魔の名前を冠した悪魔も存在するけれど、実際、現界に現れる悪魔はもっと多様で、もっと生物らしい存在よ」
「信用しかねますね」
「……だったらすぐに信用させてあげるわ。プログラムを完成させれば、悪魔を呼び出すのもチョロいんだから」
「期待してます」
 微塵の期待も見せないような素振りの男性に、小鳥は少なからず反骨心を燃え上がらせていた。

 小鳥が悪魔の研究を続けるのには三つの理由がある。
 一つは後輩の男性の態度を改めさせる為。
 一つは義理の父である高木順一郎への恩返し。
 そしてもう一つは本当の父親の遺志を継ぎたかったからだ。
 小鳥が成人する前に他界した彼女の父は、小鳥と同じように悪魔とマグネタイトの研究をしていた。
 マグネタイトをエネルギーとして転用し、昨今のエネルギー不足の解消を掲げていたのだ。
 だがそれも志半ばで途切れる。
 事故死であった小鳥の父親。実験中の不慮の事故、と言われているが、アレは……。
「悪魔は必ずいる。私はこの目で見ているんだから」
 小鳥の脳裏に焼きつく、漆黒の翼竜。アレは確かにこの世にあらざる者。
 父を食い殺しているそれは、確実に小鳥の心の傷となっているが、だがそれでも彼女は研究を止められなかった。
 なんとも形容しがたい感覚。
 恋慕にも似たその感情は、復讐心なのかもしれない。
 父を食らってすぐ、姿を消してしまったあの翼竜。あの翼竜が忘れられない。
 もう一度会って……そして……。
 きっと何も出来ないだろう。でも、それでもやめられない。
 もう、小鳥は魅了されているのだ。
 歴史に存在する多くの魔術師の様に。悪魔という存在の大きさと、力の素晴らしさに。

*****

 数日後。
 大企業バンナムの社長、高木順一郎は、会社のビルの地下にある小鳥のラボに来ていた。
 バンナムは小鳥の研究のパトロンになり、その活動を支援している。
 そして高木は小鳥の養父でもあった。
「調子はどうかね、音無くん」
「あ、お養父さん」
 相変わらずパソコンの前に張りついていた小鳥は、高木の声に振り返った。
「ドアに鍵もかけずとは、無用心だね」
「あ、ごめんなさい」
「いやいや、次から気をつけてくれれば良い。……それより……」
「あ、……ええと」
 高木が待っているのは明確な研究結果。今日もそれを訊きに来たのだろう。
 だが、小鳥には返せる答えはない。
「そうか。まぁ、頑張りたまえ」
「はい、ありがとうございます」
 それ以上、親子の会話は続かなかった。
 高木の方に切り出し難い案件があるのは、小鳥も悟っていた。
 だが、それを口に出されると、困る。
 恐らく、高木はこの研究の打ち止めを薦めてくるはずだ。
 それは……とても困る。
「あ、社長、いらしてたんですか」
 そこに助け舟がやって来た。
 小鳥の後輩の男性だ。
「おぉ、お邪魔しているよ」
「どうしたんです? 何かご用ですか?」
「実は君に話があってね。……ここではなんだから場所を移そうか」
「あ、はい」
 高木に連れられ、男性は部屋を出ていった。
 二人の後姿を見送りながら、小鳥は一つ覚悟を決めていた。
「このマグネタイトを使えば……」
 見詰める先にはフラスコ。小鳥の研究で一番の研究結果。
「マグネタイトは、悪魔を実体化させる物。これを使えば、きっと上手く行く」

*****

「単刀直入に訊こう。音無くんの研究はどうなのかね?」
 場所を移して、コーヒーをすすりながら、高木は男性に尋ねた。
 男性もその答えに言葉を濁そうかと思ったが……。
「俺も、正直言って疑問です」
 素直に答えていた。
 彼にとって小鳥は尊敬する先輩であったのだ。
 それが、あんなわけのわからない研究に没頭して、才能を潰して欲しくなかった。
「ふむ……やはりか」
「マグネタイトとやらは、確かに驚くべき発見ですが、悪魔に関しては行き過ぎた発想の様に思えます。彼女が持っていた資料も、信用に足る物とは……」
「そうか。……そうだな。あの娘のことになると、私は甘くなっていかんな」
 自嘲気味に笑った高木は、もう一口コーヒーをすすった。
「そうだ、相談ついでと言ってはなんだが……」
「なんです?」
「君は音無くんの事をどう思っているね?」
「はぁ!?」
 驚いた男性は、頓狂な声で問い返していた。
 そんな声を向けた相手が、社長である事を思い出し、すぐに頭を下げる。
「し、失礼しました。……で、でもいきなりなんです?」
「なにもかにもないだろう。言葉通りの意味だ。どう思っているんだね?」
「どうって……小鳥さんは尊敬する先輩ですよ」
「それだけかね?」
「何を仰りたいのか、なんとなくわかりますけど……俺は多分、小鳥さんとそう言う風にはなりませんよ」
「そうか、残念だな」
 高木はため息を零しつつ、背もたれに体を預けた。
「旧友から託された大切な娘だ。どこの馬の骨ともしれん輩には渡せんし、君なら申し分ないと思ったのだがね」
「小鳥さんにはもっと相応しい人間がいますよ。きっとどこかに」
「……まぁ、無理強いはするまいよ」
 大人しく引き下がった高木は、コーヒーを飲み干して、空になった紙コップを捨てた。
「さて、私は仕事に戻るとするかな。君も、君の研究を続けたまえよ」
「はい。ありがとうございます」
 そう言って、二人はそこで別れようとしたのだが……。
―――っ!!
 ズシンと響く地鳴り、一瞬明滅する電灯、そして一変する空気。
 空気が外へ向かって流れ始めたように感じた。何か、危険な物から逃げ出す様に。
 それは明らかに『転機』だった。
 この日常が、非日常へと移行する、ありえないはずだった転機。
 呼吸を忘れかけていた自分に気付き、高木は口を開く。
「……地震かね?」
「え? ああ、いや、それにしては妙ですね……」
 慌てた様に、男性も言葉を返した。どうやら彼も、何かわからない『起こってしまった事』に飲み込まれていたようだ。
 重苦しい雰囲気はなおも続く。一歩でも動けば、死角から何か得体の知れないモノが、喉笛に噛み付いてきそうだった。
「このなんとも言い難い重圧……まさか」
 高木は一つの事象に思い当たった時、数年前の事をフラッシュバックしていた。
 小鳥の父親が死亡した事故。高木は詳細を知らなかったが、ラボで惨殺されていた自分の親友を、それを見て呆然とする親友の娘を、その惨たらしい部屋の様子を幻視していたのだ。
「お、音無くん!」
「あ、社長!?」
 先程まで体を支配していた恐怖を忘れ、ラボに向かって駆け出す高木を、男性も追いかけて行った。

「これで、本当に開いたの?」
『ああ、間違いない』
 一人しかいないラボの中。小鳥以外にもう一人の声が聞こえていた。
 その声は男性のような、女性のような、どちらともつかない中性的な声をしていた。
 その声は美しく、全てを魅了するような力に溢れていた。
 だけどその声は冷たく、一言聞いただけで死んでしまいそうな雰囲気を纏っていた。
『これでアッシャー界と魔界はリンクした。少ないマグネタイトで、悪魔はアッシャー界に顕現出来る』
「それじゃあ……」
『ああ、君の研究も半ば完成だ。だが、残念な事にこれ以上は進めないがね』
「それでも、きっと私の跡を継いでくれる人がいるはず。私の、私たちの夢は終わりじゃないわ」
『……ふ、そう信じるならそれも良い』
 姿の見えない声と会話する間、小鳥は淡く輝いている壁の紋様を眺めていた。
 いわゆる魔法陣、召喚陣のその紋様は今、現界と魔界を繋ぐゲートになっている。
 これにより、悪魔は現界に現れやすくなった。
 それは悪魔からマグネタイトを得られるチャンスが多くなったと同時に、人間に未曾有の危機が迫っていると言う事だ。
『さて、君は人間を一歩先へ導く母となるのか、それとも滅亡の先触れとなるのか』
「きっと希望を見出せるわ。人間は弱くなんかない」
『ならば、それを期待しているが良い』
 凍るような笑いを隠しながら、その声の主は突き放す様に言う。
 だがそれでも小鳥の瞳は曇らない。未来を信じ、自分を信じ、そして後に続く人を信じて両手を広げる。
「花はどこだって種を舞わすよ、光はどこだって闇照らすよ……」
 口ずさんだ大好きな曲。正直に言うと、これから自らの身に起こる事に、恐怖を感じないわけがない。
 それは簡単に言えば死。まだるっこしく言えば器を変えた永遠の生。
『魂だけの身体になるのは、そう恐ろしい事ではない』
 小鳥の心境を看破したのか、その声が言う。
『人という器を捨て、輪郭をなくし、世界と同じような存在になるのだ。素晴らしい事だろう?』
「私にはわかりかねるわ。そんな経験もないしね」
『なら一度経験して見ると良い。……まぁ、そうなると元に戻るのは容易ではないがね』
「……もう良いでしょう? やるなら早くして」
 そろそろ自分の恐怖心を抑えるのが難しくなってきた。
 言葉を発していると、その内に泣き出しそうになる。
 感情の溢れを、止められなくなる。
『いいや、君にはもう少し時間が必要だろう。最後の別れくらい、させてやろう』
 声がドアを指した気がした。
 小鳥はそちらに振り返る。……その瞬間。
「音無くん!!」
「お、お養父さん!?」
 勢い良く、高木が入ってきた。
「小鳥さん、大丈夫ですか!?」
 その後に、男性も。
 その二人の姿を見て、小鳥は何故か落ち着いた。
 今誰かに会えば、本当に泣き崩れてしまうかもな、と自分で思っていたのに、高木と男性を前にして、これほど落ち着いた気分になれるとは、本人が一番驚いた事だろう。
「大丈夫なのかね、音無くん」
「大丈夫よ、お養父さん。これで魔界との扉が開く」
「……魔界?」
 うっすら笑みすら湛える小鳥。
 その様子に多少気圧されながらも、高木と男性は小鳥の言葉を待つ。
「私の、私たちの研究はやっと半分の所までこぎつけたわ。魔界との扉が開けば、悪魔はこちらの世界に現れやすくなる。……でも、私はここまで」
 落ち着いた心のまま、小鳥は瞳に涙を浮かべた。
 恐怖からのモノではなく、念願叶った喜びと、もう会えない淋しさが入り混じった、不思議な気持ちだった。
「ゴメンね、お養父さん。私はもう、ここには居られない」
 小鳥がそう零した瞬間、魔法陣から大きな腕が飛び出し、小鳥に向かって伸びる。
 その動作は小鳥の恐怖を煽るかのようにゆっくりで、この部屋にいるもの全てを威圧するほど大仰だった。
 その腕が、小鳥を掴む。
 流石に震えが止まらなくなった小鳥の細い身体を、その大きな手が覆い、そして……。

 腕が魔法陣に帰った時、確かに小鳥から何かが抜け落ちた。
 小鳥自身は抜け落ちたと言うより、狭い部屋から解放されたような心持ちだったが、高木と男性から見れば、完全に何かを抜き取られた様を見せつけられた。
 小鳥の身体からは半透明の『何か』が掴み出されていた。
 大きな腕はそれをしっかりと握り、そのまま出てきた時と同じようにゆっくりと魔法陣の中へ帰る。
 この間、高木と男性は何もできなかった。
 小鳥が掴まれた瞬間も、小鳥から何かが抜き出された瞬間も、それを持ち去られる瞬間も、ただただ立ち尽くすのみだった。
 現れた腕の威圧感、起こっている事の非現実さ、混乱鎮まらぬ自分の頭。
 完全に思考を忘れていたのだ。
 何が起きているのか、全くわからなかった。
 ただ、何かが抜け落ちた小鳥の身体が崩れ落ちそうになったのを見て、高木は慌ててその体を支えた。
「お、音無くん!」
 眠ったような小鳥の身体。
 だが、異常に軽かった。
 いや、確かに細身の小鳥は軽いのだが、質量的な問題ではない。
 空っぽの抜け殻を持っているような、そんな感覚を覚える。
 これは小鳥の姿をしているが、小鳥ではない、と直感が悟っていた。
「これは……一体?」
「説明しようか」
 高木と男性のどちらでもない声。
 先ほどまで小鳥と会話していたその声だが、今度は明確な姿を持って二人の前に立つ。
 金髪碧眼の美男子。端的に言うならそうだろうか。
 だが、その男にはそんな陳腐な言葉では現しきれないような、色々な要素を交えて持っているように思える。
 言葉にし難い、数多の感情が駆け巡る。
 高木も男性も、ここまで心がかき乱される事は、最近とんと経験しないようなことだった。
 今の心情を例えるなら、子供の頃に何かとてつもなく欲しい物を買ってもらえなかったような、近所の怖いおじさんに目の前に立たれているような、そんな子供の頃の欲求や恐怖心を思い出させるような感じだった。
 人間としての、本能が揺さぶられている。
 目の前に立つ彼の、えも言われぬ不思議な魅力と畏怖を煽る雰囲気。
 直感的に、彼が小鳥の言う『悪魔』なのかもしれない、と思っていた。
「誰だね、君は」
「名乗るほどの者ではない。それよりも、今から君たちに、今何が起こったのかを簡単に解説してやろうと思うんだが……そこの君」
 男は男性を指し、一つ笑う。
「良い目をしているな。人を見る目に長けている」
「……? いきなり何を……」
「取引をしないか? 今の状況をハッキリと認識するには、その方が手っ取り早い。そちらの初老の男性にとっても、私よりも君から言われた方が納得しやすいだろう」
 何を言っているのか、わからなかった。
 何の取引なのか? これからあの男は、何を解説しようと言うのか?
「なに、怖がる事はない。君の目を、今より少し『見える』様にするだけだ。ただ、代わりに君の名前をもらうがね」
「俺の名前?」
「そう。君はこれ以降、自分の名前を名乗る事は出来ないし、その名を呼ばれる事もない。それでも良いかな?」
 男性はその尋ねに、頷くしかない様な気がしていた。
 彼の放つプレッシャーに負けて、と言うわけではない。
 ただ単に、気になるのだ。
 今、何が起きているのか。彼は何者なのか。小鳥はどうなったのか。
 知的探求心をくすぐられる。知りたい。
 男性の心がそれで埋め尽くされる頃、静かに頷いていた。
「よろしい、契約成立だ」
 金髪の男は男性に対して手を伸ばし、そのまましばらく間を置く。
 何をしているのか、と首を傾げてみた所、男性の目に金髪の男の姿が映った。
「う……あ……」
 その瞬間、男性の顔はひきつる。
 今まで体験した事のないような恐怖。
 叫び声を上げるのを、止められなくなっていた。
「う、うわああああああ!!」
 本能的に退き、だが恐怖心で体が上手く動かず、足を縺れさせて尻餅をつく。
 顎がガチガチ鳴り、気道が上手く開いてくれないような気がした。
 呼吸と心拍は早くなり、瞳孔が縮まる。
 今すぐ逃げないと、大変な事になるような気がした。
 この男の前にいてはいけない気がした。
 ……だが、
「だ、大丈夫かね!?」
 高木が男性に手を伸ばす。
 男性は、その恐怖心を抑えつけて、高木の手を取り、立ちあがる。
「これが……お前の教えたかった事なのか?」
 男性は金髪の男を見て尋ねる。
 金髪の男は笑みを浮かべながら、男性の様子を見ていた。
「そうだ。理解出来ただろう? 人間は視覚からの情報を信じやすいからな。……だが驚いたな。普通の人間ならすぐに逃げ出すと思ったんだが……」
「まだ、この状況を説明してもらってない」
 男性を奮い立たせたのは、驚く事に先ほど疼いた探求心だった。
 何かを知りたい、と思う気持ちが男性を支えていたのである。
「……な、何が起きたのかね?」
 男性と金髪の男の間に何が起きたのか把握しきれていない高木。
 男性は高木の目を見て、ハッキリと言う。
「社長、アレが悪魔です」
「……悪魔?」
 男性に言われ、高木は金髪の男を見た。
 悪魔というからにはやはり、それ相応の姿をしている物ではないのか、と思った。
 目の前に立つのは、ただ普通の……いや、人間離れした美しさと雰囲気を持つ、ただの男性のように見える。
「彼が悪魔だというのかね?」
「そうです。……やっぱりなくなってる」
 男性はチラリと視線を移し、小鳥が大事そうに保管してたフラスコを見やる。
 マグネタイトが入っていたそのフラスコの中身は、最早空だった。
「社長、小鳥さんの言っていたことですが、悪魔はマグネタイトを使って現界に物質として顕現するらしいです」
「……あのフラスコに入っていた物かね? アレがなくなっているからと言って、彼を悪魔だとは……」
 やはり信じがたい。
 こんな非現実的な状況においても、常識と言うのはなかなか離れないのだ。
「信じてください。でないと、最悪死んでしまうかもしれない」
「……う、うむ」
 必死な様子の男性に、高木は頷いていたが、やはり心はどこか信用しきれてなかった。
「信用しないのならばそれでも構わない。私はただ、真実を述べるのみ」
 口元を上げるだけで笑い、男は壁に描かれていた魔法陣をなぞる。
「この世界の隣には、魔界と言う世界がある。薄い皮を一枚めくれば、すぐそこは我ら悪魔の故郷だ。だが、その皮をめくる作業と言うのが面倒でね。あの女性がプログラムや陣を独力で作り出したのなら、賞賛されてしかるべきだ」
 喋りながら、男は魔法陣の中に手を突っ込んだ。
 コンクリートで出来た壁が、まるで水面の様に波を打ち、男の腕を受け入れる。
 そしてその手を引き抜いた時には、一羽の蝶のようなものを捕まえていた。
「カハク。中国に伝わる妖精だ」
 男が言うのに、二人はその蝶のような物をまじまじと見る。
 すると、それは手に乗るほどの人の体から、蝶の羽が生えたような生き物だった。
「こ、これは……生きているのかね?」
「当然だ。こう言う常識外の姿をしていた方が、悪魔として認識し易いだろう?」
 高木に対しての配慮だったのか、男はクツクツ笑いながら、話を続ける。
「さて、この世にマグネタイトを多く有するのは二つの存在。人間か、悪魔か。マグネタイトを要領よく集めようとするなら、そのどちらかを殺せば良い」
 言い終えた瞬間、男はカハクという悪魔を片手で握りつぶした。
 麗しい外見をしたその悪魔は、断末魔を上げて、成す術もなく死んでいった。
「……なっ!?」
「この悪魔から出てきたこの物質、これが不活性マグネタイトと言う物だ。これを体内に取り込み、活性化させる事で、悪魔は現界に顕現する事が出来る」
 悪魔の亡骸から現れた灰色の宝石のような物は、小鳥が必死で集めたマグネタイトの質量を軽く上回っていた。
 悪魔を殺せばマグネタイトが集まる、と言う話は嘘ではないらしい。
 男はその不活性マグネタイトを自分の内に取り込み、話を続ける。
「ここからが本題だ。君たちの仲間であった音無小鳥と言う女性。彼女は現界と魔界を限りなく同位状態に近くし、悪魔が現界に現れるのに必要なマグネタイト量を、著しく低下させた。それは即ち、現界に悪魔が現れやすくなったと言う事に他ならない。この魔法陣がある限りはね」
 男は壁に描かれた魔法陣を指差す。
 それに呼応するかのように魔法陣は淡く輝き、まるで生きている事を誇示するように胎動している様にも見えた。
「ならばすぐにその陣を――」
「消しても良いのか?」
 高木の言葉を継ぐように、男が尋ねる。
 その真意を量りきれない高木は、返答する事が出来なかった。
「この陣は魔界と現界を繋ぐ橋。一度閉じれば、また長い時を待たねば開かれる事はあるまい。だがそうなれば、小鳥と言う女性は二度と君らの前に姿を現さないだろう」
「ど、どう言う事だ!?」
「彼女は……いや、彼女の魂は今、魔界にいる。身体とは乖離した状態でね」
 先ほど感じた『小鳥から何かが抜け落ちた様に見えた』と言う感覚。
 アレはあながち間違いではなかったのだ。
 あの手は、小鳥の魂をもぎ取っていったのだった。
「すぐに探せば、魂を取り戻せるかもしれないぞ? ただ、あまり時間を置くと身体の方が崩れ落ちるがね」
「なんだと!」
「魂と肉体とは通常、切り離せない物。どちらか片方での活動は、余程の事がない限り無理だ。それは生命活動にも影響する。どれだけその身体を保持しようとも、魂のない身体は長くて数年で崩れ落ちるだろう」
「……それを回避するために、魔界との扉であるその魔法陣を消すな、と?」
 高木の質問に、男は笑って頷いた。
 高木の傍らに立つ男性は、判断に迷っていた。
 小鳥のことは助けたい。だが、それはあの男の手の平で踊っているだけの様な気がしてならないのだ。そして、そのまま踊っていては取り返しのつかない事が起こるような予感がする。
「社長……」
「私は……音無くんを助けねばならない」
「……っ」
 高木の決断を、男性は止める事も、賛成することも出来ずにいた。
 ただ、目の前に立つ男はクツクツと笑っているばかり。それに酷く、苛立ちを覚えた。
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