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真・菊地探偵事務所 三章 13

13 明星

 カグツチ塔の最上階ももうすぐ、と言うところで、急に雪歩が足を止める。
「ま、真ちゃん」
「どうしたの、雪歩? あ、もしかして、またチューナーの力が!?」
「ううん、違うの……」
 雪歩には見覚えがあったのだ。
 この場所、この踊場で、二体の悪魔と戦った事を。
 一人は雷神、もう一人は豹頭の堕天使。
「これって……私は……ううん、真ちゃんは覚えてないの?」
「覚えてるって……何を?」
「前にここで……」
「だ、ダメなの、ユキホ!」
 そこで慌ててミキが止めにかかった。
「それはマコトくんが思い出さなきゃダメな事なの!」
「でも……このままじゃ真ちゃんはまた……」
「でもダメなの! そうじゃないと意味がないの!」
 困惑する雪歩だが、しかしこのままではまた真が死んでしまう。
 そう思ったなら、最早口に戸は立てられなかった。
「真ちゃん、このままじゃ――」
「そこでストップ」
 しかし、またも邪魔が入る。
 今度はミキではなく、前方に立っていた人影から。
 その声の主はどうやら少女。見覚えのあるかえるのポーチをぶら下げた、ツインテールの女の子だった。
「君は……やよい?」
「うっうー、お久しぶりです、真さん!」
 やよいは片手を上げて元気良く挨拶する。
 だがしかし、それは妙だ。
 あずさの話では、やよいはトラウマによって言葉を失くしたはず。
「喋れるようになったのか?」
「そうですよー! お陰さまで、私も心の傷を克服する事が出来たんです!」
 何があっても驚かない自信はあるが、しかしだからと言って全てを受け入れられるわけではない。誰かに何かしらの変化があれば、動揺はせずとも警戒してしまう。
 何故ならば、やよいがたった一人で、このカグツチ塔最上階付近にいる事が、まず何よりも怪しいのだから。
「君は一体何物なんだ?」
「……察しがいいですね。流石は真さん。でも、その割には未だに気付いていないのは貴女だけですよ?」
 気付いている、と言うのは仲魔たちの変化の事だろう。
 ミキは最初から何かを知っていたようだし、ホルスもそうだった。
 イオリは途中で何かを思い出したようだし、雪歩もついさっき。
 ヒビキは例外としても、今のところ真だけ『その記憶』がない。
「思い出す機会は幾つもあったはずです。いいえ、真さん自身、何か記憶に引っかかる事があったんじゃないですか?」
「……君は何を知っている?」
「この世界の事は全て。今まで貴女方が歩んできた道、そしてこのボルテクス界の終わり行く先も全て、私の思うとおりに進んでいます」
 まるで神でも気取るかのようなやよいの口ぶり。
 しかし、やよいの表情にふっと影が落ちる。
「ですが、一つだけ手違いがあるんです。それが真さんの記憶ですよ」
「ボクの、記憶?」
「出来るだけ記憶に刺激をもたらしやすい構成にしたのに、それでも貴女は全てを思い出してはいない。それはつまり、貴女はどこかで思い出すことを拒んでいるんです。ですが、それではダメなんです。それではこのボルテクス界は意味がない」
 言いながら、やよいは腕を前に出す。
 すると雪歩、ミキ、イオリ、ホルス、ヒビキの身体が淡く光り始めた。
「な、何これ!?」
「キモチワルイの!」
「どうなってるんさ!?」
「ま、真ちゃん!」
「雪歩、みんな!!」
 雪歩が伸ばす手を、真が掴もうとした瞬間、全員の姿は青い光となって消え、そのままやよいの手の中に収束した。
「真さん、これは貴女に課した試練です。貴女がその器たるか否か」
「みんなを帰せ!」
 真はヒノカグツチを掴み、そのままやよいに斬りかかる。
 しかし、その刃は見えない壁に阻まれる。
「ぐっ!?」
「試練を乗り越えた後、記憶も取り戻してみて下さい。そうすれば仲間は全て返しましょう。しかし、そうでないならば、貴女はまた全てを取りこぼす事になる。これは私が送る、最後のチャンスです。しっかり活かして下さいね」
「なにを……!?」
 真の言葉を遮るように、やよいは指を鳴らす。

*****

 その瞬間、真を取り巻く環境がガラッと変わった。
 そこにあったのは、懐かしき菊地探偵事務所、そのオフィスだった。
「こ、これは!?」
 しかし、真の手にはGUMPもヒノカグツチもある。
 全て夢オチ、と言うわけには行かないだろう。
「なんなんだ、一体……」
 真が周りを窺っていると、部屋の隅に雷が落ちる。
 その雷によって呼び出されたのは、インプだった。
「か、下級の悪魔か? どうしてこんな所に」
『キー、キー!』
 GUMPを持っていても悪魔の言葉がわからない。
 これは、交渉の余地もないと言う事だろうか。
『キー!!』
 真が様子を窺っていると、インプは腕を突き出して魔法を操る。
 発生した衝撃波が、オフィスの中にあった家具を吹き飛ばして真に襲い掛かってきた。
 しかし、真はそれを易々と避け、
「そっちがやる気なら!」
 カグツチを閃かせて、インプを切り裂く。
『キー……』
 インプはマグネタイトを吐き出して、そのまま死んでいった。
「あのインプ……見覚えがある。アミとマミが操っていたヤツだ」
 真の記憶のドアを叩く音が一つ。

*****

 記憶の尻尾を掴む前に、またも場面が変わる。
 ここはバンナム社長室。
 そこに居たのは、青い炎をまとった蛇の神。
「あれは……千早のペルソナ」
 あのペルソナはイルルヤンカシュ。確かに千早のペルソナだった物だ。
 しかし、今は真に向けた敵意を隠そうともしない、ただの野良悪魔の様だ。
『グルルルル』
 低く唸りを上げるイルルヤンカシュは、そのまま真に飛び掛る。
 大顎を開けて噛み付こうとする悪魔を、真はすんでの所でかわし、床を転がる。
「問答無用か! だったら……!」
 またもカグツチを振るい、イルルヤンカシュを切り倒した。
「はぁ、はぁ……なんなんだ、一体。どうなってるんだ!?」
 この社長室にも見覚えがある。
 確か、あの壁を破って現れた人物がいたはずだ。
 そもそも、真がここに来た理由も確か……

*****

 息もつかせず、次の場所へ移る。
「うう、酔っ払いそうだ……」
 次々とめまぐるしく変わる風景に、乗り物酔いに似た気分を味わう真。
 今度の場所はHRインフォメーション。
 そこに現れたのはエイの姿をした堕天使。
「フォルネウス……確か、雷に弱いんだったな」
 情報を反芻しながら、今度は真から打って出る。
 どうせあの悪魔も、こちらの都合などはお構い無しなのだろうから、ならば先手必勝だ。
 カグツチの一振りで、フォルネウスも打ち倒した。
「確か、ここで雪歩は」
 悪魔の血を混ぜられて帰ってきた。
 そして、気づいた時には彼女は魔法を操る事が出来ていたのだ。

*****

 次の場面はあずさの屋敷。
 そこに現れたのは雲に乗った大猿、セイテンタイセイである。
「これも千早のペルソナ……」
 セイテンタイセイは素早さを生かして真に近付き、手に持っていた如意棒を振るって襲い掛かる。
 しかし、あの時は全く歯が立たなかったが、今はそうではない。
 魔人として完全に覚醒している真なら、セイテンタイセイの速さの先を行く。
「遅いッ!」
『ウキーッ!』
 打ち込んできたセイテンタイセイの頭上を飛び、そのままカグツチを振り下ろして倒す。
「ここは春香が人修羅に覚醒した場面……」
 真の記憶の扉がドンドンと開いていく。
 あずさの屋敷の中で戦った事はないはず。見た事のないシーンのはずなのに、何故だか既視感を覚えている。
 これは一体なんなのか、

*****

 その答えが出ないまま、次の場面に移る。
 ここはバンナム地下、ターミナルの前だった。
 そこに聳えていたのは巨大な神、ラーヴァナ。
「コイツは……」
 雪歩を守る為に戦っていた真。
 しかし、雪歩は共に戦う事を選んだ。
 真もそれを受け入れ、みんなで力を合わせて倒した敵。
 ズキリ、と頭が痛む。
「思い出したくないのか、ボクは……」
 頭が記憶の流出を拒んでいるようにも思える。
 この拒否反応は一体なんなのか、真の知る由もない。
「くそっ!」
 ラーヴァナすらも一刀の元に切り伏せ、真は頭を抱えてうずくまった。
「なんなんだ! ボクに何をさせたいんだ、やよい!」
 しかし、答えが来るはずもなく、次の場面へと移る。

*****

 次はイケブクロ。真は入った事もないはずのマントラ軍本営だった。
「でも、見覚えがある」
 既視感が強くなるたびに、頭痛も酷くなる。
 この先の記憶が見たくない、と本能が叫んでいるようだった。
 真の前に立ちはだかったのは、雷神トール。
 その前には不自然な水溜りが出来ていた。
「これは……」
『構えろ。強さを示せ』
 トールは低く響く遠雷の様な声でそう言い、真に向かってミョルニルを振り下ろす。
 しかし、真は頭痛を抱えながらもそれを避けた。
「まさか……こんな……」
 記憶が告げる。あの水溜りの正体を。
 あれはミキが溶けた跡。つまり、死んだ証拠である。
「うああああああああ!!」
 それを理解した瞬間、カグツチは強く燃え猛り、その炎でトールを包み、焼き殺した。
 トールが消し炭になった後も、真の頭痛は止まない。
「くそ、どういうことだ! ミキは、死んだのか……!?」
 やよいの手の中に吸い込まれたミキ。しかし、あれは死んだのだろうか? どうにもそうとは思えない。
 このビジョンも他の何かを意味しているのではないか、と、そう思えて仕方ないのだ。

*****

 続いてはヨヨギ公園。
 決意の場所、共にいると誓った場所。
 そこに居たのは少年のような背丈の妖精と、鋭い槍を構えた美形の騎士。
「ボクは、何を忘れていたんだ……」
 記憶の扉が完全に開かない今、何を忘れていたのかも思い出せない。
 しかし最早『忘れていた』と言う事実は否定し得ない。
「思い出すべきなのか? これほど本能は嫌がっていると言うのに……ッ!」
 頭痛はその激しさを増すばかり。
 しかし、悪魔たちは待ってはくれない。
 騎士の補助魔法によって、妖精の攻撃は鋭さを増し、更に連携を使って真に襲い掛かってくる。
 だが、それでも真の敵ではない。
 カグツチを振るって二体を薙ぎ払い、頭を押さえる。
「ボクはここで、雪歩の手を取った。そして、一緒にいるって約束したんだ」
 扉の置くから漏れてきた情報。
 それは紛れも無く、真の記憶。
「こんな大事な事を忘れていたのか、ボクは……だったら」

*****

「ボクは全てを思い出す。取り戻してみせる!」
 次はアサクサの地下にあるマネカタの聖地、ミフナシロ。
 そこに現れたのは、またもトール。そして、その傍らには豹の頭の堕天使が。
「二体だって構うもんか! ボクの邪魔をするなら、押し通る!」
 カグツチを構え、一気に二体に斬りかかる。
 大した抵抗も出来ずに、悪魔二体は切り裂かれ、そのまま崩れ落ちるか、と思ったのだが。

*****

 しかし、場面が変わると同時に、二体は再び起き上がる。
「くそっ、浅かったか!」
 真が周りを窺うと、その風景はカグツチ塔のモノになっていた。
「ボクは以前にもここを上った事があるのか……。ぐっ、うう」
 頭痛がまた一段階強さを増す。
 これ以上行くと引き返せない、と誰かが呟くように言った。
 しかし、真はもう決めたのだ。全てを取り戻す、と。
「うおおおおおおお!!」
 言う事が聞かなくなっている身体に鞭打ち、真はカグツチをもう一振り、閃かせた。
 トールと堕天使が消え去る。

*****

 そして最期の地へと至る。
 ボルテクスの中心、カグツチの目の前。
『我は無なり』
 カグツチはそう言った。
『そしてお前もまた、無に帰す者なり』
「な、なにを……」
 カグツチは今までの悪魔とは雰囲気が違った。
 すぐに真に襲い掛かってくるようではない。
『無理に創世を行った代償で、お前は命を燃やし尽くしたはず。しかし何故、今一度我が前に立つのか』
「ボクが、死んだ……!?」
 腹の中が胎動した。
 胃液が逆流しそうになる。
 頭痛が全身に伝播し、指先まで動かせなくなってしまった。
「ボクは、死んだのか……」
 それは究極のトラウマ。
 自分が死んだ記憶。
 死の恐怖、喪失感、虚無感、何もかも等しく、それらはその人物にとって最悪の絶望たり得る記憶。
 誰だって思い出したくはない、禁忌の箱となる。
 それを今、真は思い出したのだ。
『答えろ、人であり、人にない者、魔人よ』
「ボクは……どうして、ここに居るんだ」
 自分でも答えを見出せなかった。
 真は全て思い出したのだ。
 以前、ボルテクス界を踏破し、その先にあった『不完全の創世』と言う絶望。
 それを完全なものにする為に、真は魔人の力と自分の命を賭して、完全な創世を成し遂げたはずだった。
 代償はわかりやすく『死』。
 それも払い終えたはずだ。
 昼時の、事務所の椅子で、真は静かに生を終えたはずだった。
 だが、だとすれば何故、こんな夢を見ているのか?
「私が答えましょうか?」
 そこに現れたのはやよいだった。
「や、よい……?」
「率直に言いましょう。真さんに力を貸す人物がいたんです。酔狂と呼ばれようと、その人物は貴女を生き帰すつもりなんです」
「ボクを生き帰す? そんな事が、出来るのか……?」
「貴女がそれを望むのならば」
 そう言ってやよいは手を差し出した。
 そこには青い光が宿っている。
 先程吸い込まれた、雪歩たちだ。
「彼女たちは貴女の死を、酷く悼まれている。それは貴女が愛されている証拠。彼女たちの思いを無下にしてまで、貴女は死を選びますか?」
「だってそれは……人が生き返るなんて、あってはならないことだ」
「それはどうしてです?」
 やよいは無垢な瞳で真の顔を覗き込んだ。
「人が生き返らない、って誰が決めたんですか?」
「それは……常識だ」
「常識とは覆らないルールなのですか? いいえ、それは違います」
 そう言って、やよいはポーチから一つの鉄器を取り出す。
 そこから溢れる煙は、不思議と心地の良い匂いがした。
「常識とは即ち、神の敷いたレールに人間的な解釈を織り交ぜたものに過ぎません。それは実は酷く脆く、覆りやすい幻想のボーダーラインでしかないんですよ」
「そんな……バカな……」
「真さん、私はね」
「やよい……?」
 真の視界がぼやけてきた。
 煙を吸ったからだろうか? 何か危ない薬だったのかもしれない。
 やよいの背後に、なにやら背の高い人影を見た気がしたのだ。
「神に反逆する人を応援したい、とささやかに思いますよ」

*****

 カグツチの目の前からは、真はいなくなっていた。
 残ったのはやよいとプロデューサーの思念体のみ。
『あれでよかったのか? あれがお前のしたかった事かよ?』
「ふっ、これは単なる返礼だよ」
 年恰好に似合わず、皮肉めいて笑うやよい。
 その姿にプロデューサーは不気味さを感じずにはいられなかった。
『返礼? なんのだよ?』
「前回のボルテクス界は、手駒を揃える事は叶わなかったものの、そこそこ楽しめた。それは彼女があってこそだったと、私は思う。だから、その暇潰しに最大の功績を残した彼女を、私なりの礼として、今回のボルテクスを作ったのさ」
『ボルテクスを作った? お前が?』
「そう、このボルテクスも、彼女が今まで会って来た全ての存在も、君も、これら全ては彼女が見ている夢に過ぎない。そして私はそれをプロデュースしただけの事だよ」
 クツクツと笑うやよいは、やっぱり似合わなかった。
「さて、では私の暇潰しもこれでお終いだ。ボルテクスもその内、終息を向かえるだろう」
 先程までの嫌味たらしい笑顔は消え、やよいは子供らしい笑顔でプロデューサーを見た。
「君も最後の時を望む場所で、望む人と終えるが良い」
『……お前がそんな事を言うとはな。正直意外だ。裏があるのかと勘繰りすらしてしまう』
「ふふ、疑われるのも無理もないとは思う。だが、本心を言ってしまえば、この世界なんて彼女の夢でしかないのだから、私にとって何の益もないのだよ。そんな世界をさまよう魂に対し、どこへ行こうと関心も向かないね」
『だったら何故、俺をここまで手元に置いていたんだ?』
 プロデューサーの問いに、やよいは一度クスっと笑い、
「さてね。君とはよくよく縁もあるから、と言う理由なのかも知れん」
『縁……?』
「平行世界では君と出会う事も多い。故に、と言うのが理由になるだろうね」
『そんな理由で……』
「暇潰しの理由に高尚さを求めてはいかんよ。……さぁ、時間も押し迫ってる事だし、君も行くと良い」
 その言葉の直後、プロデューサーの魂を束縛していたものが掻き消える。
 ふわりと浮く思念体と言う存在が、初めて不安定でどことも知れぬ場所へも消えてしまいそうな、実は怖い身体だったと知る。
『じゃあ、お言葉に甘えて俺は行かせてもらうよ』
「そうするといい」
『でも、最後に』
 プロデューサーはやよいに向けて手を差し伸べた。
『アンタの事はやっぱり好きになれないし、絶対に心も許せないと思うけど、色々為になる事もあったし、俺がこの世界でここまで生きてこられたのも、アンタのお陰だと思う。ありがとう』
 その行動に少し面を食らったか、やよいは一瞬目を丸くした後、小さく笑ってその手を取った。
「こちらこそ、有意義な時間をありがとう。この暇潰しも、君がいなければ退屈なモノになっていたかもしれない」
『それは過大評価だ』
「そうかもしれないな」
 二人は同時に笑った後、手を離し、プロデューサーはカグツチ塔の中へ消えていった。
「さて、私は祭りの最後を見届けよう」
 やよいはカグツチの目の前から飛び立ち、どこかへ消えていった。

*****

 オベリスク最上階付近。
「う……ん」
 そこで目を覚ましたのはあずさだった。
 彼女が目覚めた事に気付き、シジョウは彼女に近付く。
「目覚めましたか、三浦あずさ」
「……貴女は……」
「私は葛葉シジョウ。葛葉のデビルサマナーをやっております」
 葛葉と聞いて、あずさは一瞬眉をひそめる。
 この事件の原因の一旦は、元を辿れば葛葉にある。
「貴女たちがあの資料を流出させなければ……」
「このような事態は免れましたか? 私はどうしてもそうは考えられませんね」
 シジョウは周りに悪魔がいなくなった事を確認した後、仲魔を管に戻し、剣を収めた。
「遅かれ早かれ、ボルテクス界は生まれたでしょう。我ら葛葉が行動を起こさずとも……いいえ、ヤタガラスが指示しなくとも」
「どういうこと……?」
「世界は終わり行く運命を変えられずにいた。それの打開策がこのボルテクス界なのです。今回は葛葉の人間と知り合いであった音無と言う人物に資料を渡しましたが、それが誰であろうと構わなかったのです」
「では、貴女たちは誰にでも資料を渡したと言うの!? それではテロと変わらないわ!」
「どうでしょうか? 貴女は何の前知識もなしに、私たちの資料を読んで理解できますか?」
 葛葉の資料に書かれていた内容は、魔術書とほぼ変わりない。
 それは一般人が読んでも意味のない文字の羅列でしかない。もしくは笑いモノでしかない。
 実際、なにも知らないプロデューサーや高木などは、小鳥の熱心な姿を見せられても、半信半疑のスタンスを変えなかった。
「事実、ヤタガラスからの指示で流出させた資料は二十にも及びます。しかしそれが正しく理解されたとの報告は僅か三件。内の一件が音無家の息女によって引き継がれ、この様な形で実を結んだ。ただそれだけの事です」
「……だったら私は、やはり貴女たちを好きになれません」
 それは世界的な視点から言えば正しい行いだったのかもしれない。
 しかし、一個人的な視点で言えば、それはまさしく悪だったのだ。
 この事件によって、あずさの人生は確かに道を外れたし、彼女の周りの人間も多大に道を狂わされた。酷い場合は死にもした。
 近しい人の死とは、その原因に悪を見出すのにこの上はないのだ。
 ならばあずさが葛葉を恨む道理は通る。
「貴女が私を嫌う理由を否定はしません。葛葉を肯定しろとも言えません。私は貴女の意思を尊重し、それで少しでも貴女の慰みになるなら、それで構いません」
「そんな事を言われたら、何も言えなくなるわ」
「……そうですね」
 あずさにもわかっている。
 組織に属しているシジョウ個人を恨んでもどうしようもない。
 それに葛葉とて、ボルテクス界を作るなんてリスクの高い策は下策としていたはずだ。
 下策を取らざるを得なくなったわけは色々あるのだろう。葛葉を『他者を省みぬ悪者』と呼ぶのは憚られる。
 それに、以前もあずさは大を生かす為に小を見殺しにする策を、真に提案した事もあった。葛葉のことだけを論う事はできまい。
 だから、必要以上に憎む事もしないし、恨みもしない。
 残ったのはボルテクス界で生き残れなかった事実と、亡き人への謝罪の気持ちだけ。
「プロデューサーさん……私は……」
『あずささんは頑張ってくれましたよ』
 そこへ、思いがけない声が届く。
 あずさの目の前に青白い光が現れたのだ。
 すぐにシジョウは剣を構えたが、どうやら光に敵意はないようだった。
『葛葉の人だろう? 俺は何もしないよ。って言うか、思念体じゃ大した事は出来ない』
「思念体……貴方は?」
「プロデューサーさん!?」
 あずさが思念体に手を伸ばすが、実体のない思念体を触れる事は出来なかった。
「プロデューサーさんなんですか!?」
『そうです。えっと……久しぶりです』
「そ、そんな普通の挨拶……」
 なんだか一気に気が抜けてしまった。
 輪郭のぼやけた思念体ではあるが、プロデューサーの顔はどこか笑っているようだった。
「プロデューサーさん、今まで一体、どこで何を……?」
『色々と、話すと長くなるのでいつかゆっくり話しますよ』
「……そうですね。私はもう、貴方に会えないんじゃないかと、ずっと心配で……」
『あずささん……ありがとうございます。でもこれからはもう、離れませんから。ずっと、貴女の傍にいます』
「本当ですよね? 約束ですよ? ずっと、私の隣に……」
『はい、約束します』
 プロデューサーは小指を差し出す。
 あずさも笑って、その小指に自分の小指を絡めた。
 実体のない思念体との指きりには、何の感触もなかったが、あずさはそれでも嬉しかった。
「仲がよろしいのですね」
「あ、シジョウさん……」
「私は少し、席を外しましょうか?」
「だ、大丈夫です!」
 この殺伐としたボルテクス界で、少し、場が和んだようだった。

*****

 カグツチ塔の中層。
 床に座った春香の膝の上で、千早が寝息を立てていた。
 ここまで気を張って突っ走ってきたツケが来たのだろう。精神力も使い果たして、今はただ眠りこけている。
「アホ面で寝やがって。ここはまだ悪魔もいるんだぞ」
「千早ちゃんが寝てる間、見張りは頼んだわよ、モムノフ」
「へいへい……」
 モムノフは二人を見ながらため息をついた。
 今のところ、道反玉を使ってスパルナを蘇生したものの、まだ本調子でない。故に戦力になるのはモムノフだけだ。
「そう言えばアンタ、千早ちゃんの事を知ってたようだったけど、結局なんだったの?」
「あ? 俺だけが特別ってワケじゃねぇさ。お前だって同じだよ」
「私も?」
 確かに春香も千早の事は知っていたが、会った事もないモムノフが千早の事を知っているのが特別ではないのだろうか?
 そして、それが春香も同じとはどういう意味なのだろうか?
「ちゃんと説明してくれるんでしょうね?」
「お前も、何かきっかけがあれば思い出すんだろうが……まぁ、もう時間もないだろうしな」
 真くらいの強さを持った存在となると、離れていてもその位置は知れてしまう。
 しかも創世の器は既に真しかいなくなっているのだ。とすれば、ボルテクス界で真一行は最強と言って良い事になる。
 そんなパーティの居場所が、カグツチ塔のてっぺん近くとなれば、もうすぐこのボルテクス界は創世を経て消えていくだろう。つまり、悪魔は全て滅し、真の築く世界が出来上がる。
 ならばもう、モムノフが語る時間もそう多くはない。
「ぶっちゃけた話、この世界、ボルテクス界やその前の世界を含めて全てが、誰かさんの夢なんだそうだ」
「……いきなり信じられない話ね」
「だったら、この話は終わりだな」
 モムノフの切り返しを受け、春香は思い切り睨みつけてやったが、あまり効果はなかった。
「続けて」
「……この世界を形作ってるのは、大半はその夢を見ている誰かさんの記憶、そして世界の記憶、残りの極々僅かな成分が俺やお前って事だ」
「良くわからないわ」
「だろうな。俺も実のところは良くわかってない。この世界に放り出される前に、とあるお方に話をチラッと聞かされただけだし」
「とあるお方って誰よ?」
「情報の出本は関係ないだろ。それを聞いたところで真偽の確証を得られるわけでもない」
 その『とあるお方』が春香の知らない人物だった場合、その情報の価値に変化は見られないだろう。だとすれば、モムノフの言う通り、情報の出本は必要ない。
 元情報屋としては、それでは不安も残るだろうが、とりあえずは話を聞く事にしよう。
「この夢は少々特殊でな。普通、個人の夢ってのはその人間が持つ記憶だけで構成される。でも今度の夢はそこに世界の記憶が混じってるんだ」
「その世界の記憶ってなんなの?」
「夢の世界の外側、つまり本来、夢を見ている本人が生きている世界だな。その世界が有する色んな記憶を、今回の夢は取り込んでるのさ」
「つまり……どゆこと?」
「夢を見ている本人すら知りえない情報が、夢を構成する要素として混じってるんだ。恐らく、夢を見ている当人なんかは、俺の記憶なんざ知らないだろうし、知る由もないだろう。だとすれば、俺がここにいる理由ってのは、その世界の記憶から引っ張ってきた、って事だな」
 つまり夢を見ている人間が会った事もない、喋った事もない、見た事もない人物が夢に登場してしまうのだ。それは夢の中で創作された人物ではなく、実在する人物を正確に模写しているのだから、普通の夢ではほとんどありえないと言える。
「それだけで既に、この夢はかなり特殊なモノなんだが、それに加えてもう一つ、俺たちの存在がある」
「千早ちゃんの事を知っている理由ね?」
「そう。俺たちも基本的には世界の記憶の一部って事になっているが、それに加えてもう一つ、現実世界に存在する俺たちの『魂の欠片』を有しているんだ」
「魂の、欠片」
 春香は自然と自分の胸を押さえていた。
 どこか、その言葉に引っかかりを覚えたのだ。
「その言葉、聞いた事あるかも」
「そうだろうな。もしかしたら、お前も思い出していたかもしれないんだから。話を戻すが、俺たち、魂の欠片を持った存在はこの世界に十人ちょっとしかいない。それらは夢を見ているヤツを導くために存在しているらしいんだ」
「私もアンタも、夢を見ている人物を導いてたっての? 言っておくけど、私は私の思うままに歩いてただけよ?」
「俺だってそうだ。だが、あのお方の考えじゃ、それはそうでもないらしいんだな」
 モムノフも春香も知らない事だが、夢を見ている人物を導く役目は果たしているのだ。
 二人がいなければ、もしかしたら夢を見ている人物は、ボルテクス界に辿り着く前に死んでいたのかもしれないのだから。
 夢を見ている人物が夢の中で死ねば、それは夢から覚める事になるだろうが、この夢は特殊なものだ。この夢の中でその人物が死ねば、それは現実世界での死を意味する。
「ええと、話を纏めると、アンタは世界の記憶から生み出されて、魂の欠片を持っていて、更にその欠片を上手く使いこなせてるから、千早ちゃんの事を知っていた、ってこと? 現実世界ではアンタは千早ちゃんと出会った事がある、と」
「そういう事だな。まぁ、腐れ縁だったけどな」
 そう言って、モムノフはまだ寝ている千早の顔を愛しげに眺めた。
「その顔、なんか怪しいわ」
「ん? 何が?」

*****

 そしてカグツチ塔上層。
「はぁ、はぁ……」
 床に手をついて、真が戻ってきていた。
 自分の死を認め、そしてそれを受けて自分は何をすべきなのか。
 混乱の上に精神的疲労がのしかかっている。
「ボクは……どうしたらいい」
 この世界は真の夢だったと気付く。
 だとしたら創世をしたとしても、それはどこに行き着くのだろう?
 夢の世界を立て直したとしても、そこにどんな意味があるのだろう?
「全部、思い出したんだね」
 気付くと、傍らに雪歩がいた。
「雪歩、ボクはどうしたらいい? この世界で、ボクが成し遂げる事に、何の意味があるんだ?」
「全部思い出したのなら、きっとわかるはずだよ。全てを取り戻すと言った真ちゃんが、最後の最後で何を取りこぼしたのか」
 雪歩は真の手を取って立ち上がらせる。
 目線の合った二人は、それでも真が目を伏せた。
「ボクが取りこぼしたもの……?」
「そうだよ。真ちゃんは一番取り戻すべきものがあるはずだよ」
「それは……」
「真ちゃんの、命」
 全てを取り戻した真が取りこぼしたものは命。
 取り戻すための代償として支払ったものだ。それは仕方のない代償だった。
 だが、カグツチの力を以ってすれば、その命すらまかなえるかもしれない
 夢とは言え、この世界はボルテクス界。
 創世を行う者の思うとおりの世界を作る事ができる。
 ならば、真の命ぐらい取り戻す事が出来ない、なんて事があるわけがない。
「でも、そんな利己的な目的で創世を行っていいのか? それじゃあボクは、ボクのわがままで全てを壊してしまう。同じ過ちを繰り返してしまう」
「そうじゃないよ。今回は違う」
 雪歩は真の手を強く握った。
「真ちゃんはもう全てを取り戻す事で、その過ちを清算したんだよ。それによって私たちは救われたし、感謝もしてる。だから、今度は私たちが真ちゃんの力になる番なんだよ」
「雪歩が……?」
「私だけじゃないよ」
 そう言われて、真は後ろを振り返る。
 そこには仲魔たちが全員揃っていた。
「アンタは一応、私のサマナーなんだから、勝手に死なれちゃ困るのよ。だから、アンタを生き返すためなら私は助力を惜しまない。サマナーを見殺しにした、なんて言われたら、このイオリちゃんの名前に傷がつくわ」
「ミキはね、マコトくんが死んじゃうのはイヤだなって思うの。だからミキもマコトくんの力になりたいし、それでみんながハッピーになれるんなら、結果オーライって思うな」
「タカネはマコトの事をよろしくって、自分に言ったんだ。だったら最後まで面倒を見るのが、仲魔としての勤めだよね!」
「現実世界やこの世界が、こんな風になってしまったのは私にも原因はあります。罪滅ぼしと言うわけでではありませんが、私にも手伝わせて下さい」
「イオリ、ミキ、ヒビキ、ホルス……」
 全員の思いを受け、真はまた雪歩を見る。
「私は真ちゃんのパートナーだよ。貴女と共に生き、貴女と共に死にます。だから、一緒に生きましょう。私はそうしたいよ」
「雪歩……」
 真は雪歩の手を握り返し、今度こそ彼女の目をまっすぐに見る。
 決意の火は灯った。

*****

 そうして一行はカグツチの前に至る。
『ようやっと来たか』
 カグツチは真を見て、そう言った。
『長らく待っていたが、決心はついたようだな』
「ああ、ボクはもう迷わない。最初からやる事は決まってたんだ」
 そう言って真はヒノカグツチを取り出す。
 カグツチの輝きと、ヒノカグツチの輝きが合わさり、辺りは眩い閃光に包まれた。
 創世が始まろうとしているのだ。
「最初からやる事は決まってたんだ。ボクは全てを取り戻す。ボク自身も取り戻してみせる」

 そうして、新たな世界が生まれる事となった。
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テーマ : 二次創作:小説 - ジャンル : 小説・文学

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